見出し画像

事故物件巡りの話         【第3話 学生寮 】

大阪市内から車を走らせて1時間弱。
目の前にはのどかな田園風景が広がっている。
俺は大都市から離れ、郊外に建てられたとある大学のキャンパスに来ていた。

周りは、山、山、そして山。
山しか見えない。
しかしながら、空気がとてもうまい。心が洗われる。
広大な敷地の中にある陸上トラックで、長距離走の選手だろうか、一心不乱に自己ベスト更新を目指して走りこんでいる学生の様子を俺はさっきからずっと眺めていた。

画像1

事故物件巡りも残すところあと2か所となり、2つのうちどちらを先に行こうかと迷った結果、会社から遠い方、こちらの大学の学生寮に先に行くことに決めた。理由は特にはなかったが、なんとなくそうした。

実はこの大学、過去にとある縁で知り合った女の子が通っていたのでよく知っていた。実際に来たのは初めてだ。
その子との出会いは偶然というか事故というか不思議な縁であったが、記憶に残るタイプの女の子であった。(かなり引っ張りまわされた。)

いろいろお世話したりされたりした仲にはなったのだが、お互いプライベートのことなどにはそこまで干渉しなかったので、この大学に通っているとは聞いていたものの、その当時はこんなに遠いところまで通っているとは知らなかった。

「キララちゃん、元気にやってるんかな。
 あいつは確か・・短距離やってたな。」

トラックを走る学生を眺めながら、しばし感傷に浸っていた。

今回の巡回目的である学生寮のマンションは、弊社親会社の顧客であるオーナー様から個別で預かっている物件となる。うちが建てたものではない。
弊社で管理している物件のほぼ9割は親会社で建築した物件となるのだが、中にはオーナーから、
「実はこんな物件も持ってるんだが、
    ついでにそっちで管理してくれんか。」
という依頼が来ることがあった。

中には他社の土地活用会社と揉めてそれを預かってほしい、というオーダーもあったのだが、さすがにD東やS水の物件を預かることはできない。苦笑
例えば、地主さんが地場の建設会社さんが建てたものとかだと、引き受け可能となり、1割くらいにあたる管理物件がいわゆる他社物扱いとして管理を引き受けていた。
この学生寮もこの地域の有名な女性地主さんが、地場の建設会社に建てさせたものだった。
8階建てのRC造のマンション。
少し年数は建ってはいるもののきちんとしたメンテナンスも施されており、学生は快適に過ごせています、と職員の方からもお褒め頂いた。
こちらは一端、大学側が全戸サブリースの形をとっているのだが、学生に貸す際は家賃を減額して貸し出すという、普通のサブリースとは逆の形態を取っていた。
オーナーも大地主だけあって、地域の名士として社会貢献の意識が高く、この大学ができると聞いて、親元を離れた女子学生も安心して学業に打ち込める寮が必要だろうと大学近くの自分の土地にマンションを建て、大学に提供したのだそうだ。
大学に卸しているサブリース料金も平均からしたら低く抑えている。
いい地主さんといい大学である。
そこに暗い影を落としているのが、過去の飛び降り事件なのであった。
実際に今回の件でも、今後の意向確認を兼ねて近くに住むオーナーさんにさっきお会いしてきたのだが、「あんな高い建物にせんと、もう少し低い寮をもう3棟くらい建てたったら、あの子もあんなことにならんかったのになぁ。そこは悔やんでますよ、今でも。」と言っていた。
本来なら、このマンションだけではなく、あまっている敷地内に2棟、3棟と建てられる計画ではあったのだが、事件のせいで計画が中止となり、無駄に広い敷地の中にポツンと1棟だけ建つ形となっていた。

大学の門から徒歩5分ほどの位置に、そのマンションはあった。
車で来ていたため、少し離れた場所にある駐車場、とは名ばかりの舗装もされていないだだっ広い土地に車を駐車してから、そこからは歩きでマンションへと向かった。
その途中、だんだんと近づいてくるマンションにふと目をやると、何やら人影が見える。
女子学生だろうか、タンクトップをきてハーフパンツを履いている。
何かの競技の恰好だろうか。
ショートカットできりっとした顔をしている。
マンションの1階のベランダで上を見上げているようだが、何をするのかと見ていたら、なんと、2階のベランダへと登ってるではないか!!笑

1階のベランダから器用に手すりに足をかけ、腕を伸ばして2階のベランダの手すりへと手をかけ、腕の力で2階のベランダへと登る。
同じようにして3階の手すりに手をかけ、するすると登っていく。
登り方も本格的だ。反動を使って、危なげなく登っていっている。
ある程度登ると、また上手に降りて、また登るを繰り返している。
よく見ると1階のベランダにストップウォッチを持った男子学生がさっきの彼女を見上げて真剣なまなざしで見守っている。

っておいぃ!!
ボルダリングの練習そこでする?!
ちゃんとした施設、構内にあったやん!!笑

画像2


過去にも同じような光景を見たことがあった。
何社か前に居た不動産屋さんで大阪市内のエレ無し4階建てボロアパートを管理してたときに、出会ったベトナム人のグエン君だ。
3階の住人だったのだが、如何せん家賃を払わない。苦笑
毎回遅れる。だんだんと滞納が続くようになっていった。
しかし、底なしに明るい。
話しても通じてるか通じてないかわからない。
「ダイジョブ!ダイジョブー!」が口癖だった。
しかし日本社会はそこまで寛容ではない。
滞納に次ぐ滞納にしびれを切らした某保証会社がとうとうドアをロックしてしまった。(だいぶ前の話ね。今はそこまでしない。たぶん。)
個人的には審査下ろしたおたくの会社が悪いんじゃね?って思ったが。
とにかく、グエン君は正規ルート(入口)自宅に戻れなくなってしまった。
で、仕方なく彼が取った行動はというと、

「おとなしく家賃を払う」

なんてするわけもなく、普通にベランダの手すりを使って器用によじ登り、3階のベランダを第二の出入り口とすることで、日常生活を取り戻したのだ。笑

当時の俺は家賃滞納の件で彼のもとを訪れた際に、あまりにも上手にするする登る様に感心し、怒る気も失せて、登っている最中の彼に、

俺「危ないからさ、はようオー○ラさんに
  ごめんなさいして家賃払いなよー!」

と大声でそう語りかけたのだが、

グ「ダイジョブ!ダイジョブー!
  国では木登リ上手ダタシー!」

俺「いや、そういう問題ではなくてさ。
  そこ、入口じゃないでしょw」

グ「確かにアマゾンのお兄さんモ
  困惑シテターヨ!
  デモネ、逆に安全ヨ!ドア開かないから
  ドロボー入らないネ!
  セッキュリティ、バッチシね!」

って言ってた。苦笑
ってか、Amazonは対応するんだ。笑
置き場所・・「3階ベランダ」ww
すげぇなAmazon。

そんな愉快な彼も、もうそのアパートにはいない。
バリバリのオーバーステイかました挙句、ベランダを登る技術を極めてしまったせいか空き巣に手を染めてしまい、捕まって国に帰っていった。
故郷でも、木以外に登ってないことを祈る。
そんな思い出をフラッシュバックさせながら、マンションへと到着した俺は、さすがにボルダリングの選手であってもカラビナなしでそんなことしたら危ないし、そもそも、

『そこ、共用部分だから!!』

ずっと見ていたい気持ちを抑え込み、彼らに注意喚起をしようとして近づいて行ったのだが、何往復か登り降りを繰り返していたその女子学生は5階部分のベランダに上がったとたん、部屋の中に消えてしまった。
彼女の部屋は・・あそこな。覚えた。あとで言いに行こう。
それなら1階の男の子の方に先に声を掛けようと思い、近づいていくと彼はまだストップウォッチを持って上を見上げながらベランダに突っ立っていた。さっそく声を掛けた。

俺「ごめんなさいね。このマンションの
  管理会社の者です。
  室内でのトレーニングは結構なんですが、
  さすがに室外は危ないし、そこ、
  共用部分ですので、そういうことは
  やめてもらえますか。
  5階の部屋のあの子にも言っといてもらえま」

そこまで言って、はたと気づく。
さっきからこの男子学生、俺の話をまったく聞いていない。
ずっと俺に背を向けている。
最近の男子学生は態度が悪いなと思いつつ、
ん?男子学生?
俺はふと、ある事実に気づく。

そもそも、だ。
ここ「女子」寮だぞ。
お前は・・誰だ?

まさかな、とは思いつつも、少しバックしてマンション全体を見渡してみる。
彼が今立っているのはベランダは1階のちょうど真ん中。
103号室だ。
そして、女子学生が消えた部屋はその上の・・503号室。
グエン君じゃないけどそこは今、カギ閉められてるし何ならカギは今俺が持ってる。

君たち、どうやってその部屋に入ったんだ?

手元の資料でもきちんと確認した。
103号室と503号室。
3年前に女子学生の飛び降り自殺があり、現在クローズしている部屋がその2部屋なのだから。


背を向けているように視える男子学生はそのまま微動だにしないし、逆にこっち向かれても厄介なので、もう一度周りを見回して誰にも見られていないことを確認した俺は、とりあえずマンションの入口へと向かっていった。
入る前にもう一度彼の背中を確認すると、トレーニングウェアだろうか、服に名前が書いてあった。 
KOUDA・・幸田、かな。
入口に回ると、すぐ横に狭苦しそうな一室があり、そこが管理人室だった。
事前に連絡を入れて、俺を待っててくれた管理人の上田さんにまずご挨拶をした。
上田さんはうちからパートで派遣して、ここに毎日10時から17時まで常駐してもらっているおじいちゃんだ。もともと勤めていた自動車会社を定年でやめ、うちに応募してきた。元営業マンだそうだが、上田さんも陸上をしていたそうなので、ガタイもいい。
学生からも評判は良かった。学生との相性もいいのだろう。

上田「わざわざ、管理会社の方が来られるなんて、
   それこそあの時以来ですなぁ。
   あのときも来てすぐ気分が悪く
   なられた、とかで飛んで帰りはったし。
   今回はその件でわざわざここまで
   来られたんですよねぇ。」

うーん、すません。
そいつ知ってますが、超絶ヘタレなんです。。

北原「えー、その、うん。
   あの時はね、誰もが行くのを嫌がる
   なか、私が責任者もしてね、うん、
   進んで現地に赴きましてね、うん。
   対応したものです、うん。」

って、言うてたのに。。

俺 「お忙しいところすみません。
   その際はうちのヘタ、いや、担当者が
   頼りなくてすみません。
   えぇ、その後の調査です。
   先ほど大学側の担当者に会ってきたの
   ですが、やはり大学から近いですし、
   需要も高いようなので2部屋でも
   開けてくれるとありがたいと
   おっしゃっておられましたもので。。」

上田「確かにあの事故は痛ましいもん
   やったんですけどね。
   そのあとですか?何もないですよ。微笑
   よう言われるやないですか。
   事故物件は何か出る、とか。
   私も霊感強い方なんですけど、
   ここ3年間なーんも見たこと
   ないですわ!笑
   大丈夫!大丈夫!」

いや、ばっちりまだ居てはりますけども。
ほんとに霊感強いのかな、上田さん。。

俺 「それはありがたい情報です。
   ところで、5階はまぁわかるとして、
   1階で死んだ幸田くん?ですっけ、
   その男子学生は、
   彼氏かなんかだったんですか?」

上田「え、1階で死んだ男子学生?
   いや、ここは女子寮ですから、
   その前に住んでたのは
   もちろん女子ですよ?」

やっちまった。苦笑
さらっとカマをかけたつもりで言ってしまったが、
完全に変な奴に思われてる。
しかし、収穫はあった。
俺のことを不審がってる以上に、さっきまで明るい顔だった上田さんの顔が見る見るうちに険しくなっていくのがわかる。
これは何かある。

上田「会社に報告した資料でも、男子学生の
   ことなど書いてなかったはずですけど・・」

俺 「あぁ、すみません。俺、ここ1か月で
   80か所くらい事故物件周らされてる
   もんで。。
   どこかとごっちゃになったのかな。
   そうでしたよね、報告書では当時
   一階に住んでいたのは女子学生で、
   飛び降り事故のあとすぐに退去されて
   ましたよね。それから空きですね。
   3年前、成績が伸び悩んでいたことと
   大学生活で何かしらのストレスにあった
   当時503号室に住んでいた山口さんと
   いう女子学生が、ちょうど今頃の季節に
   ベランダに足をかけて、そのまま
   飛び降りた、そう書いてありました。
   建物の構造上、1階のお部屋は少し
   広くなっており、ベランダも他の階よりも
   少し突き出した形になっていたため、
   5階から飛び降りた山口さんは一度3階の
   ベランダ柵に身体をぶつけ、そして1階の
   ベランダに激突した。
   その際の頭蓋骨骨折による脳挫傷が
   死因でした。
   一般的に飛び降りの際は、飛び降り
   された部屋を事故物件扱いしてクローズ
   するのですが、今回は建物の構造上、
   敷地外に落下するのではなく、
   真下の103号室のベランダに落下され
   ましたので、103号もクローズにして
   いると、そういう経緯でしたね。」

上田「そうですそうです。
   まぁ、5階からやから飛び降りたら
   死ぬこともあるやろけど、洋子ちゃんも
   運が悪かったなぁ。
   ベランダやのうて、外の土の上やったら、
   あるいは生きてたかもしれんのになぁ。」

洋子ちゃんっていうのか、あの子。
報告書には名字しか記載されていなかった。

俺 「確かにさっき歩きましたけど、
   敷地は舗装もされてなく、普通の
   土でしたね。  
   あの上ならば、洋子さんももしかしたら、
   死ななかったかもしれない。」

上田「ほんとにねぇ、明るい子だったんですよ。
   朝会ったときはいつも元気に挨拶してくれ
   て。。」

俺 「ショートカットで勝気な感じです
   もんね。ボルダリングも得意だったん
   ですよね。」

上田「えぇ、結構大きい大会でも良い成績を残し
   て、って、桑津さん、なんでそれを?
   報告書にも書いてないですよね、それ。
   洋子ちゃんの容姿まで。。」

やべっ、またやっちまった。。
上田さん、俺のこと、すげー怪しんだ目で見てる。
めっちゃ検索とかかけて調べてきてる、下世話なやつ、みたいな顔してきたぞ。。。
こういうとき、困るんだよなぁ。
ここは突き刺さってくる視線に気づかないフリをしておこう。 

上田「さっきも、1階で死んだ男子学生とか・・
   いや、まさか・・桑津さん、なんで
   幸田君のこと知ってるんですか?」


俺 「いや、さっき一階のベランダにいたんで、
   声かけたんですけど、
   無視されまして!」

って言えるかー!!苦笑

さすがに我慢した。余計に話がややこしくなる。

俺 「幸田君は、マネージャー的な何か
   だったんですか?」

上田さんの質問には答えずに、しれっと質問に質問を返す。

上田「あ、ええ、まぁ、そうですね。
   彼も元々ボルダリングの選手だったん      
   ですが、練習中に『カラビナ』が外れて
   そのまま床に落下してしまって。。
   日常生活に支障は出なかったんですけどね。
   選手としてはもう。
   それでもボルダリングに携わってたいって
   いうことで、裏方さんに回りました。
   好きだったんでしょうね、あの競技が。
   真面目な子でした。」

やはり、そうか。
さっき視えた彼が幸田君だ。
そして話し方からして、3年前の話にしてはかなり前のような話し方をしている。彼が幸田君なら、やはり死んでいる。

俺 「で、その幸田君もも亡くなったと。
   でも、落下の時ではないですよね。
   落下事故での死亡者は
   洋子さんだけだったはずです。」

上田「ええ、まぁ。。
   ここではなんですし。
   他の学生も出入りして、それこそ事件の
   ことを知らない子もいます。
   それこそお部屋を見に来たんでしょう?
   彼女たちのことは関係ない。
   部屋に行きましょう。」

俺 「そうですね。不謹慎でした。
   行きましょう。」

上田さんの目にはさっきとは明らかに違う怒りと悲しさが浮かんでいた。
詮索好きな本社の人間、という扱いをされても不本意なので、おとなしく彼の後についていった。
まずは5階へ。エレベーターに乗っていく。
エレベーター内には俺と上田さん以外載ってこなかったし、ドア開いた瞬間、視えるようなことも幸運なことになかった。
503号に到着。
「管理会社都合により閉鎖中」の張り紙もまだ貼られたままだった。
開錠し、上田さんも俺も合掌してから入室した。
俺は事故物件に入室する際、合掌してから入るというルーティンを毎回しているが、上田さんも俺がする前から手を合わせられていた。
良い方だなと感じた。
俺の報告書にも上田さんのことはきちんと評価して記載しておこうと思った。

部屋に入ると、当然ながら誰もいなかった。
さっき洋子さんは部屋に消えたように見えたが、今はここにはいなかった。

入室後まず臭いを嗅ぐ。いつもの作業だ。
もちろん無臭である。
この部屋で死んだわけではないのだから、
当然である。
下水からの返り臭もない。よく換気はされている。
上田さんも当然カギを持っているので、きちんと管理してくれているのだろう。ほんとしっかりとしたいい人だ。
部屋も通常のリフォームを施されたあとにクローズされているので、品質的に何の問題もない。
部屋的にはすぐにオープンにできる。

上田「ベランダに出ますか?
   無理はしなくていいですよ。」

俺 「大丈夫です。確認します。」

上田さん、ほんと頼れるいい人だ。
気遣いもできる。
でも、俺は大丈夫。
ベランダに出ると、周りに高い建物がないのでとても景色が良い。
目の前が山、山、山。
雄大な景色に恵まれている。
事故当日は早朝だったそうなので、彼女は朝日を浴びながら飛んだのだろうか。そこまでしないといけなかったのか。
念のため、ベランダから下を覗いてみた。
幸田君もどこかに消えていた。

上田「危ないですよ!落ちてる人が
   いるんですから!」

気づいたら、かなり身を乗り出していたようだ。
これで俺には怖いもの知らずのバカ、というレッテルが付加された。
そういうキャラで通すのもいいかもしれない。
ベランダは問題なし。当然だ。
問題あるなら、下だ。
この部屋をクローズにしていた意味がない。
当時の事故対応をしたやつは相当なバカだなと改めて思った。
北原、っていう名前だったっけ。苦笑

またエレベーターでおりて、103号室に向かった。
503号室の入室時と同様、開錠後、合掌。
そして室内に入るが、503号室同様、設備的には何の問題もない。
ただ503号室と違い、空気が悪い。
どちらかといえば、「かなり悪い」状態だ。
換気がしていないとか、管理上の問題ではなく、この部屋にはあまり長居をしたくない。
生気が失われていく。
胃が気持ち悪くなる。

上田「あぁ、桑津さん、あなたも霊感強いん
   でしょ?
   この部屋に居たくないって顔してますよ。」

バレた。苦笑
上田さん、あなたコミュニケーション能力高すぎだよ。
ってか、これを感じるくらい上田さん、霊感強いのかな。
いや、それはないはずだ。
上田さんはもっと別な理由でこの部屋にはいられない、そんな感じがした。

俺 「いや、まぁ、なんというか。
   ここはダメですね。
   でも仕事なんで、ベランダも確認します。」

上田「・・わかりました。今まで部屋の確認
   すらよこしてこなかった本社には、
   正直いい思いはしてませんでしたが、
   あなたは、こう、なんか違いますね。
   試す意味でいろいろあなたを見てましたが、
   誠実に仕事はされる人みたいですね。

   ただやはり、この部屋は早く出ましょう。
   私もこの部屋には極力長居しないように
   しているんです。」

俺 「わかりました。
   ベランダは外から確認できますから。
   出ます。」

そう言って、俺と上田さんは、後ずさりしながら部屋の外に出た。
まるで熊と対峙した際に、熊を刺激しないように逃げる登山者のように。

さっき洋子さんと幸田君を見た場所に戻る形となった。
外からベランダの損傷の有無を確認する。
事故当時は洋子さんの身体の一部であったものが飛散し、汚損していると報告があったが、今はその痕跡も全くない。
言われてもわからない。事故物件なんてそんなものだ。
ただ、窓の冊子に細かいキズが複数見受けられた。
何のキズなんだろう。よくよく見ないとわからないから、リフォーム漏れしていたようだ。これは気になる。

ベランダの外から、よくよく落下個所に目を凝らしていたのだが、いつのまにか視界の中に、足があった。
ひっ!と、思わず声が出そうになった。
視なくてもわかる。戻ってきた。幸田君だろう。
後ろにいる上田さんも何も言ってない。
そっと後ずさって、上田さんの横に戻ってから、幸田君を観察した。
さっきと同じく、こちらに背を向けて見上げている。
見上げた先に洋子さんはいなかったが。

ひと通り現場調査が終わったので、上田さんにお礼を言い、帰ろうとしたところで、上田さんに呼び止められた。
せっかくこんな遠いところまできたんだし、近くにうまい珈琲を出す喫茶店があるので、そこに行きませんか、と。

上田「あ、でも私も業務中だし、桑津さんも
   そうですよねぇ。
     ほんまやったら、あかんなぁ。
   怒られますよね、本社から。」

俺 「まぁ、あかんいうたらあかんことで
   しょうけど、管理人さんはいろいろ
   対応されることもあるでしょうし、
   今は「本社の人間」と打ち合わせして
   るんですから、お茶を出すくらいは、
   許容範囲です。笑
   とりあえず、離席中の看板出しておいたら、
   大丈夫でしょう。
   そして何より俺はおサボりが大好きで、
   しかも無類の珈琲好きでして。笑」

上田「なんかね、そういうタイプやと
   思ったんですよ。笑
   では行きましょう。
   徒歩で行けます。すぐそこなんで。」

さっきまで俺に対し良い印象がなかったはずだが、少し風向き変わったようだ。
誰だってイヤな奴とは珈琲飲まないし、ましてやそんな奴にうまい珈琲を紹介したりしない。
人ってのはそんなもんだ。

歩いてすぐのところに、その喫茶店はあった。
ログハウス風な店内は、木の香りがして素敵な雰囲気だった。
ヒゲ面のマスターは、定年退職後に念願の喫茶店を開いたという。
趣味が高じて喫茶店を開いたはいいが、すぐに経営難となり潰れるのは世の常だが、ここは地域の人にも愛され、学生にも人気があるといい、心配は無用のようだ。
何よりヒゲ面のマスターは、人懐っこくて愛想がとても良い上に、余計な干渉をしてこない。
ひたすらニコニコ豆を挽き、丁寧にドリップしていた。
そんなマスターが出す珈琲がうまくないはずはない。
俺は一瞬でこの店が好きになった。

上田「ほんますんません。
   最初の方は、私もちょっと態度悪かった
   でしょ?苦笑」

俺 「いえいえ、普通の反応やと思います。
   この前きたのはうちのヘタレで、
   何年もほったらかした上に、
   本社の人間がまた来た思ったら、
   興味本位でいろいろ調べおってからに、
   と思われたんですよね。」

上田「え、まぁ、はい。そうです。」

俺 「当然ですよ。普通の反応です。
   俺が上田さんの立場でも、
   同じように思いますから。
   俺は先入観で、お部屋の印象を決めたく
   なかったので、俺もこの物件に来る前は
   オーナーさんとお会いして少し話した
   くらいで、前情報入れずにきましたから。」

上田「え、そうだったんですか?」

俺 「えぇ、人の生き死に関しては、
   重く考えています。
   それに下手に調べたりしたら、
   ちょっと引きずるタイプなもんで。
   ほんと、気にしないでください。
   上田さんは共用部分の清掃から、
   室内の換気、封水等対応につき、
   ほんとによく対応していただいていると
   思います。
   報告書にもきちんとその旨も記載します。
   何なら微々たるものですが、時給も
   アップするように打診します。」

上田「それはありがたいです。笑
   年金もあるし、そんなにいらんのですが、
   やはり評価されるのは
   何歳になってもうれしいものですから。
   励みにあります。」

俺 「いえ、弊社といたしましても、
   ここまでしてくれる管理人さんが
   いらっしゃることは大きな財産です。
   弊社の会長も人材重視でここまで
   会社を大きくしましたので。
   社の者として、お礼申し上げます。」

上田「いえいえいえ、そんな。。
   それにしても、あの事件は身に応えました。
   この仕事をさせてもらうようになって、
   ちょうど1年くらい
   経ったころだったんです。
   死んだ二人とは仲が良かったもの
   ですから。」

俺 「では、やはり、幸田君もよく
   女子寮には来ていたのですね。苦笑」

上田「はい・・すみません。」

俺 「いえ、上田さんが謝ることではありません。
   俺も経験があるので、人の事言えません
   しね。苦笑」

上田「ははは。
   見た目とは違って、桑津さんも
   ヤンチャなんですね。笑」

俺 「えぇ、見かけによらず。
   いろいろやってきました。苦笑」

ほんと良いじいちゃんだ。
上田さんとは個人的に飲みに行きたいと思った。

上田「こうやって外に呼び出したのはもう少し
   話をしたかったからなんです。
   これからは守秘義務違反の話になるんで、
   ほんとはダメなんでしょうけど、
   桑津さんなら大丈夫だと思うので、
   お話しますね。」

そう前置きして、上田さんは訥々と事件の話を語ってくれた。
今日みたく真夏の暑い日、ちょうど三年前に洋子さんは早朝自宅マンション503号室のベランダから飛び降りて、この世を去った。
落ちた先は1階103号室のベランダだったのだが、そこには中嶋智子さんという女子学生が住んでいた。
智子さんは洋子さんと同じ学年だったが、学部も違いほぼ面識はなかった。
ただ、二人の関係をつないだ者がいた。幸田君である。
幸田君は当初、洋子さんと同じボルダリング部の活動を通じて知り合い、お付き合いを始めたそうだ。
だが練習中の不幸な落下事故により、幸田君の選手生命は絶たれた。かなりの苦悩があったようで、一時は休学していたこともあったらしい。
洋子さんは彼氏である幸田君を何とか慰めたかったのだが、そもそも勝気な性格の洋子さんが幸田君をうまく慰めることができず、慰めようとすればするほど、幸田君を追い詰めていく結果となっていたそうだ。
洋子さん自身は大会でも好成績を残しており、幸田君からすればそれが心苦しかったのかもしれない。
そんなときに、幸田君のそばに寄り添い、リハビリなど献身的に付き合ったのが智子さんだった。幸田君とは学部が同じで一年後輩にあたるそうだ。
智子さんと幸田君は同じ高校の出身で、智子さんは幸田君が所属していた部活動でマネージャーをしており、かねてから一年先輩である幸田君のことを慕っていたらしく、同じ大学に進学してきたそうだ。

上田さんが語るにも、幸田君は相当真面目な性格だったようだ。
自身の心境を変えるために、幸田君は休学後に選手としての活動に関してはきっぱりとあきらめ、マネージャーとなった。
洋子さんと智子さんとのことも散々迷った結果、洋子さんとの関係も切って今後は選手とマネージャーとして接することを望んだようだが、洋子さんがそれを良しとせず、洋子さんにも圧倒されつつ、智子さんの優しさに甘える二股の状態になっていたらしい。
二股は・・だめだよね・・・五股はもっとだめだよね、うん。
と横道に逸れそうになってた俺を見透かしたかのように、上田さんが突然、

上田「これから話す内容はほんとに
   プライベートなことなので、
   内密にしてほしいのです。」

そう言った後で、上田さんは事件の真相について語ってくれた。
実は幸田君、洋子さんとお付き合いしていた当初から、よくよく寮に忍び込んで逢瀬を重ねていたのだそうだ。
上田さんも知ってはいたのだが、忍び込むのは上田さんの勤務時間外の話だし幸田君の生真面目な性格もよく知っていたので、そこまで悪影響はないと判断し、特に注意などしていなかったのだという。
しかし、洋子さんとの関係が悪化し疎遠になってから、今度は智子さんの部屋に入り浸るようになったというのだ。

俺 「それはまずいですね。
   悪手です。元カノが同じマンションに
   いるのに。しかも上の階でしょ?
   さすがに幸田君、それはだめだ。
   俺でもそんなことしない。苦笑」

上田「私もそう思ったんで、それとなく智子
   さんの方に言ったんですよ。
   やめといたほうがいいんじゃない?
   って。
   でもね、智子さん、優しそうに見えて
   やっぱり女なんだなっていうか、
   洋子さんに対して競争心があったようで、
   引けないって。
   それにね、幸田くんって実家暮らし
   だったんですよ。
   だからこそ智子さんを家に呼べないし、
   こんな田舎じゃ、ラブホテルに行くにも
   車で何十分、しかもバイトしてる学生
   にはきついでしょ?
   だから、じいさんの進言にも耳を
   貸さなかったんです。」

で、夜な夜な忍び込んでるところを、洋子さんにも見られてたそうだ。
実際に1階の智子さんの部屋に洋子さんが怒鳴りこんでくることもあったらしい。
結局のところ、幸田君を巡っての二人の女の戦いは長期化していたそうだ。それもあってか、洋子さんの大会での成績も落ち始め、もとから浮き沈みが激しかった洋子さんの精神状態も悪化し、またそれで成績が落ちる、という悪循環に陥っていった。

そして、彼女が命を絶とうと決めた日の前夜も103号室で幸田君と智子さんは同じ部屋で寝ていたそうだ。
おそらく、洋子さんはそれに気づいてて、わざと二人の部屋のベランダに飛び降りたのだろう。

上田「事件の後に、智子さんと少し話す機会が
   あったんです。
   あの日の朝、二人同じ布団にくるまって
   寝ていたそうですが、
   バン!
   ドーン!!
   っていう凄まじい衝突音が鳴り、
   二人目が覚めたそうです。
   最初、壁が落ちたのだと思ったそうです。
   しかし、窓をひっかく音が聞こえ始め、
   その後に窓を蹴るような音もし始めた。
   それから、

   「開けろ!あげろぉぉ!!」

   と叫ぶ声がして、それで落ちたのが
   人だとわかって、二人絶叫した
   そうです。      
   即死ではなかったって聞いてたので、
   もしかしたら、
   と思ったんですが、窓にもべっとり
   血の跡が付いてましたよね。
   爪でひっ掻いたんでしょうね。
   それでもうまく開かないから、
   足で蹴って割ってやろう、
   としたのかもしれません。
   その音を聞いた智子さんは窓に
   飛んで行って、
   慌ててカギを確認しに行ったそうです。
   そして一瞬洋子さんと目があったと。。
   そのときの智子さんの心境は計り知れ
   ないものがありますね。
   私もそれを聞いたとき、女の怨念や
   執念のようなものに触れた気がして、
   ぞっとしましたよ。」

智子さんは事件後に実家に帰ったと記載があったのだが、荷物の整理などに時間がかかったため、実際にあの部屋がクローズされたのは、事件の日から1か月後だった。
それから、事件日からその1か月の間に起ったこともこの後上田さんは話してくれたのだが、それは俺も予想だにしなかった悲しい物語であった。

上田「すいません、管理人として、管理物件で
   起こったことはすべて会社に報告しない
   といけませんよね。
   これから話すことは服務規程違反だと
   いわれたら言い訳のしようがないですが、
   ここまで話したのだから最後まで話します。
   実は事件が起こった日から、智子さんは
   実家に帰って、まぁあんな怖い目にあった
   から仕方ないですが、なかなか103号室の
   片付けに戻ってこなかったんです。
   そして事件から一週間くらい経った
   ある夜に、私がたまたまマンションの
   近くを通ると、誰もいないはずの103
   号室の部屋の電気が付いていたのです。
   誰もいないはずの電気が付いて
   いるのは変だなって思いまして、
   心配になって見に行ったんです。
   智子さんが帰ってきて荷物の整理を
   しているなら、心細いだろうし、
   声でもかけてあげようと思ってね。
   103号室の前について、ノックしても
   応答がない。
   鍵は開いてたので、
   智子さん、大丈夫ー、開けるねーって
   声掛けしながら入ると、部屋から
   異様な熱気が流れてきて。
   この暑い時にクーラーもかけてないのは
   何かあったからかと慌てて部屋に
   駆け込むと、なんとそこに幸田君が
   いるではないですか。
   部屋の真ん中で座ってぼーっとしてて。

   あんなことがあったのに、まだこいつは
   この部屋にいるのか!

   って柄にもなく頭にきて、強めに
   怒鳴ってやったんです。

   お前はなにしにきたんや!!ってね。

   すると、弱弱しい声で、

   ほんと申し訳ない、ほんと申し訳ないって

   頭をカーペットにこすりつけて
   泣き始めたんです。
   鍵は智子から複製したのを
   もらっていたので、それで入った。
   智子にも申し訳ないことになったが、
   やはり洋子にはとんでもない仕打ちを
   してしまった。
   あれから大学で講義を受けていても、
   実家で寝ていても、洋子が自分を呼ぶ
   声がする。って言うんです。

   だから今日もここにきて、謝り続けている。
   申し訳ない、申し訳ないって。
   だから、上田さん、見逃してください。
   今まで見逃してくれてたじゃないですか。
   今更怒らないでください、
   って。
   そう言われたら、私にだって幸田君が
   忍び込んで逢瀬を重ねてたのを
   見過ごしてた責任があるじゃないですか。
   だから強く言えなくって。。

   どうしても謝りたいなら、503号室の
   カギをあけてやるから、
   そこで線香の一本でも立ててやりなよ、
   って声かけたんです。
   すると彼はこう言ったんです。

   あそこにはいない。
   そこにいるんですよ。

   って。
   そう、103号室の外のベランダを
   指さしながら。
   そこまで言った彼はまたカーペットに
   頭をこすりつけてひたすら謝ることを
   始めました。
   見てられなくなった私は、幸田君も
   無類のコーヒー好きで、この店の常連
   だったから、また明日ここで話を
   聞いてあげる。気が済むまで謝ったら、
   帰りなさい、って声をかけて、
   帰ってしまったんです。
   もしあのとき・・と後悔しても
   しきれないミスを犯したと今でも
   悔やんでいます。」

俺 「え、まさか。
   幸田君も103号室の中で死んだん
   ですか?!」

上田「いや、自殺ではないと思います。
   翌朝、気になっていつもの出勤時間より
   早めにこのマンションに着いた私は、
   真っ先に103号室を確認しに
   行ったんです。
   そして、幸田君が倒れているのを
   発見しました。
   まだその時は意識がある状態でした。」

俺 「それですぐに救急車を?」

上田「いえ・・。

   大丈夫か!救急車を呼ぶからな!って

   幸田君に声をかけたのですが、
   もういいんです、ここにいます、と。
   意識があるものの、大丈夫そうではない
   感じで、私はすぐに救急車を呼ばなあかん
   とは思ったのですが、ここで救急車を
   呼んでしまうと、彼がここにいた事実が
   わかってしまう。
   ここは女子寮ですからね。
   彼は居てはいけない存在だったのです。
   それに近くの病院なら、私の車で連れて
   いった方が早いと思いました。
   私は彼を担いで自分の車に乗せ、
   水を飲ませつつ、急ぎ近くの病院に
   彼を運びました。
   息子がそこで職員として働いていたので。
   病院に到着した際にも意識があったので、
   私は本当に良かったと思いました。
   それなのに。。
   それから急変して・・。」

俺 「幸田君の死因はなんだったのですか。」

上田「はっきりとしたところはわかっていません。
   息子の話では、熱中症ではないか、
   と言っていました。
   確かに前の晩、部屋に入った際は
   窓も開けずにクーラーもつけてなかった
   せいか、猛烈な暑さでした。
   窓を開けようよ、って声をかけたら、
   鬼の形相で止められたんです。

   洋子が入ってくる、洋子が入ってくる!

   って。」

俺 「このマンションっでそんなことが
   あったなんて。
   報告書にもあがっていない。
   上田さん、意図的に隠したんですか。」

上田「はい、申し訳ございません。
   クビになっても仕方ないと思います。
   覚悟の上、桑津さんにお話をしています。
   やはりあの日の夜、幸田君を引きずって
   でも部屋から出して、親御さんに連絡する
   なりすればよかったと後悔しています。
   もし詳しく調べられて事件性があったなら、
   私がその前の晩に幸田君と会っていた
   ことが明るみになり、
   職務上も道義上にも私に問題があると
   追及されるのではないかと怖くなり、
   自己保身のため、これまで誰にも
   話しませんでした。
   本当に醜い行為をしてしまいました。」

俺 「個人的な判断ですが、これからあなたに
   責任を負わせるようなことは
   俺はしません。
   倒れる前日に幸田君を発見したのは
  『勤務時間外』のことです。
   声を掛けたのも善意からだったのです。
   上田さんは彼を救おうとした。
   それに聞く耳を持たなかったのは
   幸田君です。
   あと、死亡したのは103号室では
   ないんですよね。
   それなら、業務上の『報告』の義務も
   あなたにはないです。
   事件性があったなら、警察への通報等こちら
   も動きますが、薄情な話、物件で体調が悪く
   なって、病院で死亡した賃借人の同居人に
   まで、会社は関与しません。
   心配しなくても、あなたに非は
   ありませんよ。
   第一、俺はそんなこと会社の人間に
   言いませんよ。微笑

   それに、このことを報告しなかったのは、
   上田さん、あなたが自己の保身のことを
   考えて、じゃないでしょう?微笑
   とてもそんな風には思えないんです。
   違いますか?」

上田「えぇ、そう言っていただけると
   ありがたいです。
   今までこのことを黙っているのは、
   本当に辛かったんです。
   私はこの事実を公表しなかったのは、
   もうこの部屋でこれ以上の悲劇を
   生みたくなかったからなのです。
   ここでまた幸田君が倒れたなんて
   事実がわかったら、学生の間で
   尾ひれがついて、ひどい噂が流れてしまう。
   ここを建ててくれたオーナーは実は
   私と同級生で、家も近くてよく知って
   いるんです。
   彼女をこれ以上悲しませたくないって
   のもあったんですよ。
   学生の頃、彼女のことが好きでね。
   今はおばあちゃんとおじいちゃんに
   なってしまったけど、彼女が学生の
   ために建てたマンションの管理が
   できるのは、とてもうれしかった
   んですよ。」

そう語る上田さんの目は懐かしさを含んだ、遠い目をしていた。
上田さんくらい良い人が、こんな安い時給の管理人なんてしてくれているのが不思議だったのだが、そういうことだったのか。

俺 「ここまで聞いたら最後まで聞きたいです。
   結局、智子さんはどうなったんですか。」

上田「さすがに恋敵である洋子さんに目の前で
   死なれ、彼氏の幸田君も失ったんです。
   辛かったでしょうね。
   大学を辞めて一端実家に戻ったそう
   ですが、彼女も地元の人間です。
   ここらは田舎なので噂話もなかなか
   薄れない。
   居づらかったんでしょう。
   すぐに大阪市内の方に移ったと
   聞きますが、その後は誰も知りません。」

俺 「そうですか。みな不器用な人ばかりですね。
   悲しい話だ。」

カップに残っていた珈琲もすっかりぬるくて苦い液体へと変わっていた。
時計の針がかなり進んでいる。
かれこれ1時間は上田さんの話を聞いていたことになる。

上田「どうでしょう、この二部屋、これから
   どうしますか。」

俺 「そうですね。
   503号は問題ないでしょう。
   登っちゃってるんだけどなぁ。。
   でもまぁ、影響はなさそうだし。」

上田「登っちゃってる?誰がです?
   登るといえば、来た時も洋子さんが
   ボルダリングやってたの知ってたり、
   知らないはずの幸田君のことを
   知ってたり・・
   まさか登ってるのは洋子ちゃん?!」

俺 「あぁ、ぶり返しちゃいましたね。
   上田さんも大事な秘密を打ち明けて
   くれたので、俺のことも話しましょう。
   俺ね、視えるんですよ。
   人ならざる者をね。」

そこから、このマンションに来たときに視た光景を上田さんに説明した。
普通なら嘘だと思われるかもしれないが、上田さんは意外とあっさりと受け入れてくれた。

上田「二人の様子はどんなでしたか。」

俺 「ほんと真摯にトレーニングに取り
   組んでいるって感じでしたよ。
   洋子さんはただ無心に最短ルートで
   最速で登ることに執心してる様子で。
   幸田君もストップウォッチ片手に
   真剣なまなざしで
   彼女を見守ってましたし。」

上田「ストップウォッチを持ってた?
   本当に?
   そうか、あのストップウォッチ、
   まだ使ってくれとったんかぁ。」

感極まったのか、上田さんが人目を憚らず、男泣きを始めた。
マスターも一瞬チラリとこちらを見たが、そのまま何事もなかったように、またニコニコとカップを磨いている。
実は選手生命を絶たれた際、マネージャーとしてがんばるように諭したのは上田さんだったのだそうだ。
その際に、競技者からマネージャーになる決意を固めた幸田君に記念としてちょっといいストップウォッチをプレゼントしてあげたのだそうだ。
彼が持っていたのもそれに違いない。
彼らは本当に不憫だ、まだまだ若くて出来たこともいっぱいあったやろうに、と上田さんは彼らの顛末を嘆いていてた。

俺 「ある程度の移動はできるんですけど、
   基本的に建物の外には行けないみたい
   なんですよ、彼らは。
   だからあそこでトレーニングするしか
   ないんでしょうね。
   実際に生身の人にされたら止めなきゃ
   いけませんが、彼らがケガすることは
   ないでしょうし、たぶん、俺以外に
   視えることもないでしょうから、
   そのままにしておきましょうか。
   俺は視えるだけで、除霊とか成仏させる
   能力はないもんで。
   503号室はオープンに出来ますね。
   洋子さんも他の人を引きずり込むような
   タイプではなさそうですしね。」

上田「103号室はどうなるんですか?」

俺 「俺が感じた印象でもあの部屋はまだ
   マズい。80箇所周った中でも、
   ダントツにマズいです。
   はっきりと感じるくらいの気持ち悪さが
   残っています。澱んでいる。
   洋子さんや幸田君が悪いとかではなく、
   何か他にもいる。

   当分の間、クローズにするしかないです。
   人は住めない。
   非科学的なのでどう説明しようか
   迷いますが。。」

上田「そうですか。
   実は大学側から人が住めないなら、
   倉庫として使えないか、という打診が
   きていますが、それならいかがでしょう。」

俺 「それはいいアイディアです!
   長居しなければ問題ないでしょうし、
   人の出入りがあった方が、まだ部屋の
   状態も保てますし、思いが薄まる作用も
   あると思います。
   大学から家賃も取れますので、
   管理会社的にもオーナーさん的にもいい。
   ただ、夜の使用は極力控えるように
   上田さんの方でコントロールして
   ください。」

上田「それはもう!!
   早速職員の方に伝えますね!」

そう言って、彼は喫茶店を飛び出していった。
いや、ケータイ持ってるやん!ってツッコミたかったのだが、人前で泣いたことが段々と恥ずかしくなってきたのかもしれない。
俺は上田さんを気軽に待つことに決め、マスターにもう一杯珈琲を注文した。
注文後にマスターが俺のためだけに挽いてくれた、珈琲豆の素晴らしい香りを存分に味わいながら。


(追記)

報 告 書(案)

【物件】〇◇大学 女子学生寮 
    103号室及び503号室

〇月△日、訪問。
同伴者は管理人の上田氏。
まず503号室を巡回し、確認。
臭気に問題なし。設備に問題なし。
次に103号室を巡回、確認。
臭気や設備に問題なし。
ただ、窓のサッシに微細なキズが見受けられた。
リフォーム漏れと思われるため、田澤係長にはご相談済み。
2部屋とも状態がいいのは、管理人の上田氏の誠実なご対応によるところが大きいと思われる。
仕事ぶりも熱心であり、賃借人の方からの信頼も高い。
長い間、昇給が行われていないため、モチベーションアップのためにも昇給の検討を要請したい。
こちらも田澤係長にはご相談済み。

今後の方針としては、大学側から503号室に関しては短期留学生のための部屋として使えないかと検討しているとのこと。良い案だと思われる。
103号室に関しては、事故から3年しか経過しておらず、影響もいまだに残っているため、住居としては客付不可と判断する。
大学側も同様の意見ではあるが、住居用ではなく、荷物置き場として使用したい旨、提案あり。
503号室・103号室ともに、活用案に関しては念のため、オーナー様にも事前にご相談をしており、ぜひその方向で進めてほしいと了解を得ているため、来月からその方向で運営したい。

以上


この物語は一部フィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?