「心が叫びたがってるんだ。」にハマって(3)

5.ヤマ場以降の各シーンを見て

この作品は,ヤマ場以降の各シーンについて,見る側がいろいろ(キレイに言えば→)能動的にかかわる,とか,脳内で補う,とか,(わるく言うと→)見る側が掬って(救って)やる,というふうな姿勢でいくとおもしろくなる,と感じています。見る側がその気になるか,「こんな自己中キライ」「話が破綻」で気持ちが離れていくか,は見る側次第です。

ここからは,ヤマ場以降の各シーンについて思ったことを書いていきます。なお「ヤマ場」とは,公演前日に順が偶然立ち聞きして学校を飛び出したところ以降,とします。

5.1 順はしゃべれるようになった...

順がしゃべれるようになった転換が起こったのは,公演前夜に学校を飛びだした時です。渡り廊下の会話を偶然立ち聞きしたことで,それまでは社会に露出させていなかった順の恋愛感情が,自分の意思ではなくとも「三角関係」という社会的構図のなかにすでに投ぜられていることをつきつけられました。

これまでは,「自分の心の中を見られる」のを極端に怖れて,あらゆる自己表現を抑えてきた,という設定の順です。拓実への好意の無防備な発露により,自分の感情を抑えておけばいいという状況ではなくなったことが,順を次のステージに押し出すのです。

ここで順の心が乱れたのは,「自分は明示的にしゃべってはいないのに,菜月に自分の感情を悟られていたこと。そして,それゆえに菜月を傷つけていた(かもしれない)こと」を知ったから,でしょう。「成瀬って,しゃべらなくても考えてることまるわかりだよなぁ」が伏線でした。その線で考えると,「拓実にその気がないことがわかったこと」は,副次的な問題だと思います。ただ,演出は,こちらのほうがキッカケになるように見せているのが違和感ですが,わかりやすさ,のために妥協したのか... なお,順は菜月が拓実を好きなことには気づいていました(6人で集まったときの視線の動きで表現)。※あとのヤマ場の最初で「王子様がいなくなったからもう歌えない」と語るのは,菜月に嫉妬心を起こさせたことに言及したくなかったあらわれと見ます。

そこにタマゴ妖精があらわれて語る場面は,私には難しく感じていましたが,順の気持ちを上記のように読むと,わりとすんなり受け入れられます。妖精の発言は,「今のおまえは(自分は),しゃべらなくても心は知らず知らず周囲に伝わっていて,もう殻は割れ(殻を割り)かけている。だから痛いのはおなか(しゃべるしゃべらない)じゃなくて,胸(恋心や罪悪感や)なのだろう?。本心をもっとさらけだすのは,これまでの抑圧状態から見れば「混沌」で(スクランブルエッグで)自分も傷つくだろう。けれど,そこ(世間)に身を投じれるかどうか=殻をとり去れるかどうかは自分次第だよ。」という順への”応援の言葉”と受け止めました。

ですが,このシーンの演出は一見そうとは思えないような(脅かすような)味付けになっています。これは,「いったん追い詰めておいて,次の救済の場面をより劇的にする&公演から逃げ出すという極端な行動の動機付けを強化する」という作法なのでしょうが,なんとなく私は製作者たちの「持ち味」が変化球的なのかな,とも感じた次第です。この,「ヤマ場の始まり」の場面が,もうちょっとすっと入ってくる設計だとよかったかな。。。

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