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「心が叫びたがってるんだ。」にハマって(4)

5.2 ヤマ場は急速にファンタジーに切替わり

そしてその次に賛否両論の,というより多くの人が悪評する廃墟内での対話シーンが来ます。たしかにこれを現実に起こりうるかもしれない線で考えたら,まさかの逃亡も,行く先があそこなことも,拓実が建物の奥の奥で割と難なく見つけることも(つけたしに足跡の描写はあるけれど),拓実を見ても順が驚きもしないことも,すべてヘン,というか無理スジですよね。私もそう思います。

それまで素行不良のそぶりもなかった高2女子が,いきなり廃ビルの奥の奥に入って隠れる とか。拓実がチャリでがんばれば見つけちゃう+公演に途中で間に合っちゃう とか。話めちゃくちゃじゃないの。それまでのリアルっぽい学園ものが台無しに。

この台無し感は,理屈の上では誰でもわかることです。あえてそれを選んだ作者(脚本家)は,理屈に合わなくなってもいいから描きたいイメージがあったわけです。リアルさはどうでもよい,という姿勢が。

なので,私は拓実が自転車で学校を出てから順を乗せて戻るまでが「ストーリーが盛り上がった果てのファンタジー」なのだ,と思うことにしました。拓実が廃墟に入って行って順を見つけちゃうという無理スジな展開を見たら,これは現実じゃなくてファンタジーなのだとご了解ください,と作者は考えたのでしょう。

あそこでは,作者の「こうあってほしい(「ラブホの円環」という構成でないと,言いたいことが言えない)」という意思が,リアリズムよりも重要だっていう判断なのだなぁと。。。「精神が再生する(こともある)というテーマのほうが,さわやかっぽい青春ドラマを描くことよりも優先した結果」というか。

加えて,廃墟と公演との同時進行,場面の切替わりの構成からすると,たぶん,ヤマ場の対話をあえて非現実的にして,リアルさから切り離し,ミュージカルと廃墟との「同時進行ダブル劇中劇」みたいな効果を狙ったような気がします。

5.3 対話の放物線

廃墟内での対話シーンのセリフのシークエンスは,話せなかった主人公がこれまでの葛藤を言葉でぐいぐい回収していく,緩急つけたたたみかけが,とてもいいと思います。「玉子がいないとっ...こまるのっ!」というひとことの吐露が(多少説明的だが)それまでの長い苦悩の突破口を凝縮し,そこがカタルシスの始まりです。そこを起点として,ミュージカル終曲の(ありきたりな歌詞ではあっても,すばらしい原曲と合っていて,やはりぐっとくる)現世肯定の光明まで,ざくざくと階段を登るようなテンポ感があります。

この流れを「急ぎすぎ」と感じる方もおられるでしょうが,シーンの切り替えがうまく,ミュージカル曲のほとんどは思い切って刈り込んで,密度が濃い流れになっていると私は感じます。

対話の最初のほうで順が繰り出す罵詈雑言は,拓実と菜月に対する感謝の気持ちをわざと真逆の表現で吐き出していて,心にくい脚本です(※私はこれを別サイトのある方のレビューで教わり,同感しました。ありがとうございます)。これは順の未熟さ・成長途中の不器用さ,の表現でしょう(私はこれをかわいく感じます)。

「もう....戻れない」というつぶやきから始まるこの対話は,上記の罵詈雑言を経て,そこからいろいろ言葉を交わした末も末に,落ち着いた声での「うん。......知ってたよ。」にすっと着地します。この流れは,漂う波のような変化をみせつつ,全体にきれいな放物線を描いているように感じます。ここにつけられた音楽(劇伴もミュージカルも)は非常に効果的な使い方がなされています。告白の直前で終わるピアノ曲とか最高です。あーなんか,いいもん見たわー,となります。

「知ってたよ。」にかぶせての手を差し出し,手を引かれようとするほんの短いシーンが,本作最高のシーンです。拓実と互いに承認しあったことの象徴。その後は,公演中の母の涙の微笑や,同級生たちにしゃべれるようになったことがわかる流れでの,「社会からの承認」のイベントがさりげなく続き,からの大団円。(たしかに,急ぎすぎかも,ではありましょうが,冗長であるよりは,行間を読ませる感じが,いいかなと)


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