クレープ存在論

 クレープにはチョコバナナとかいちごカスタードとかあるけど、どれもクレープという共通点を持っている。このとき、チョコバナナといちごカスタードというトッピングをクレープに不可欠とは考えない(変えられるので)。

 このとき、クレープだけが残り、そこには「どのクレープを選ぶか」から「どのスイーツを選ぶか」という上位の考えに移る。存在そのものに並ぶものはない=スイーツが一種類しかない=そして一種類しかないなら名前もないのでクレープは残るがクレープの名前は残らない。

 そして、クレープそのものについて考えたり感じようとすると、他のことについて考えたり感じたりする経験が必要になる(ぬるま湯にしか浸かったことがない人間にはぬるいか分からない)、つまり存在しないを想定することになるが存在しないという言葉もこの世の存在でありなにもかも存在しない世界も一つの存在でありどこまでも存在しかないので不可能。

 しかし、チョコバナナやいちごカスタードにむいて考えることは可能で、その話をするときにはクレープ(生地)の存在を確信して/前提としている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?