幼い囚人

 彼はその場所に帰ることを強制されている。そこで食べて、寝ることを強制されている。18年間くらいそうなのだ。
 1mmさえそこから動くことはできない。移動にはある一点が要らないが、彼のようにその場所という一点がある限り、その移動は離れることに成り下がる。
 そこには看守がいて、衣食住、つまり生存の権利を握っている。そしてそれを奪ったり、物理的あるいは精神的な暴力によって彼を傷つけることができる。自らのルールを強制させられる。
 看守はいつでもつきっきりで彼を見張り、善人と悪人の二面性を用いて彼をより御しやすい囚人に作り替えようとする。彼はその場所での生活のために看守を頼るしかない。真に移動できるのは看守だけなのだから。
 
 彼とは子供である。その場所とは家である。子供は囚人である。その場所とは刑務所である。親は看守のように振る舞う。

 あなたが気になっていることは、囚人であれば、いったいどんな罪を犯したかということだろう。子供の罪は、ひとえに、弱いことにある。
 子供は他人に頼らずには生きられない。他人に迷惑をかけずには存在できない。誕生した時点でその罪を犯している。

 その刑期を満了したとき、つまり弱者から強者へ、子供から大人へ成長したときに、初めて!その牢屋から彼は解放される。成長できない罪深き者はいつまでも囚われの身である。
 
 囚人は看守を憎む一方で、その看守側に立てなければいつまでも囚人だという事実に苛まれ、世を呪うだろう。呪い続けて社会を変えるか、呪いをやめて同じ看守たちに祝福されるか、その二択はあるようでないな。

 気になるのは、弱いことを罪として罰するのになぜ弱く産むのか、ということだ。

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