愛についての結論 いろんな方言ver
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京都弁
人間幸せになるためには消費…………入手して使用する必要があるんやんな。
で、この世のすべては消滅しいひん。たとえば、ゴミは灰になるけど消えはしいひん。どないな物質も変化することはあっても消滅することはあらへんらしい、科学的にな。
なら、わしらがやってるのんは、この地球上に存在するリソースを使い回してるだけやで。
で、問題は、価値っちゅうのんは希少性なんやけど、だって希少なものは必ず価値があるさかい。価値があるものは希少やさかい。なにがその人にとって、所有する人にとって希少かはともかく。
価値希少性やったら、あらゆるものは得た瞬間に価値を落とす。手に入れたものを欲しがらへんってこと。そやさかい争いは絶えへんし、社会は奪い合いやで。
たとえば労働、こら労力と時間を奪われる代わりに物や物に交換できる物、貨幣を奪う、そないなやりとり。
やさかいこの世界は虚しいちゅうか、結局は限られたリソースの使い回しと奪い合いに過ぎひんわけ。
(追記)
たとえば創作のアイデアは脳内に0から発生してるのかもしれへんが、そら物質化することでしか確かめられんと、ほんで物質化された時点で、潜在的なリソースの使用どす。つまり、その順番にその文字を並べたらおもろい文ができるちゅう法則(構造)の顕現であり、二度と使えへん(またやってもおんなじ文になるだけやさかい)。
やけど、もしこの世界に愛があったらさ、考えてみてほしおす。
人間は好きな人に労力と時間を費やすけど、代わりに幸せを得る。相手に奪われる・奪わすことで0から生み出すものがあって、それが愛の幸せ。
人間は好きな人と関わったときにこの地球上には存在しいひんもの、愛の幸せを心の中に作れる。
そら奪うことも奪われることもあらへんさかい争いの種にならへんし、世界平和に繋がるやろうな。
愛のあらへん世界では物質主義資本主義と共謀して絶えあいさのう人々を争わせ・競わせんで。
大阪弁
人間が幸せになるためには消費…………入手して使用する必要があるんやんな。
で、この世のすべては消滅せえへん。たとえば、ゴミは灰になるけど消えはせえへん。どんな物質も変化することはあっても消滅することはあれへんらしい、科学的にな。
なら、俺らがやってるんは、この地球上に存在するリソースを使い回してるだけやで。
で、問題は、価値っちゅうんは希少性なんやけど、だって希少なものは必ず価値があるから。価値があるものは希少やさかい。なにがその人にとって、所有する人にとって希少かはともかく。
価値が希少性やったら、あらゆるものは得た瞬間に価値を落とす。手に入れたものを欲しがれへんってこと。そやさかい争いは絶えへんし、社会は奪い合いやで。
たとえば労働、こら労力と時間を奪われる代わりに物や物に交換できる物、貨幣を奪う、そういうやりとり。
やさかいこの世界は虚しいちゅうか、結局は限られたリソースの使い回しと奪い合いに過ぎへんわけ。
(追記)
たとえば創作のアイデアは脳内に0から発生してるのかもわかれへんけど、そら物質化することでしか確かめられんと、ほんで物質化された時点で、潜在的なリソースの使用や。つまり、その順番にその文字を並べたらおもろい文ができるちゅう法則(構造)の顕現であり、二度と使われへん(またやっても同じ文になるだけやさかい)。
やけど、もしこの世界に愛があったらさ、考えてみてほしい。
人間は好きな人に労力と時間を費やすけど、代わりに幸せを得る。相手に奪われる・奪わすことで0から生み出すものがあって、それが愛の幸せ。
人間は好きな人と関わったときにこの地球上には存在せえへんもの、愛の幸せを心の中に作られる。
そら奪うことも奪われることもあれへんから争いの種になれへんし、世界平和に繋がるやろうな。
愛のあれへん世界では物質主義が資本主義と共謀して絶え間のう人々を争わせ・競わすで。
博多弁
人間が幸しぇになるためには消費…………入手して使用する必要があるっちゃんね。
で、こん世んすべては消滅しぇん。たとえば、ゴミは灰になるばってん消えやしぇん。どげん物質も変化することはあったっちゃ消滅することはなからしい、科学的にね。
なら、俺らがやっとーとは、こん地球上に存在するリソースば使い回しとーだけと。
で、問題は、価値っていうとは希少性っちゃけど、だって希少なもんな必ず価値があるけん。価値があるもんな希少やけん。なにがそん人にとって、所有する人にとって希少かはともかく。
価値が希少性やったら、あらゆるもんな得た瞬間に価値ば落とす。手に入れたもんば欲しがらんってこと。やけん争いは絶えんし、社会は奪い合いと。
たとえば労働、こりゃ労力と時間ば奪わるー代わりに物や物に交換でくる物、貨幣ば奪う、そげなやりとり。
やけんこん世界は虚しかちゅうか、結局は限られたリソースん使い回しと奪い合いに過ぎんわけ。
(追記)
たとえば創作んアイデアは脳内に0から発生しとーとかもしれんが、そりゃ物質化することでしか確かめられず、そして物質化しゃれた時点で、潜在的なリソースん使用や。つまり、そん順番にそん文字ば並べりゃあおもしろい文がでくるちゅう法則(構造)ん顕現であり、二度と使えん(またやったっちゃ同じ文になるだけやけん)。
ばってん、もしこん世界に愛があったらしゃ、考えてみてほしか。
人間は好きな人に労力と時間ば費やすばってん、代わりに幸しぇば得る。相手に奪わるー・奪わしぇることで0から生み出すものがあって、それが愛ん幸しぇ。
人間は好きな人と関わったときにこん地球上には存在しぇんもん、愛ん幸しぇば心ん中に作りきる。
そりゃ奪うことも奪わるーこともなかけん争いん種にならんし、世界平和に繋がるやろうね。
愛んなか世界では物質主義が資本主義と共謀して絶え間のう人々ば争わしぇ・競わしぇるばい。
薩摩弁
人間が幸せになっためには消費…………入手して使用すっ必要があっどね。
で、こん世んすべては消滅せん。たてば、ゴミはへになっどん消えやせん。どげん物質も変化すっことはあってん消滅すっことはなからしい、科学的にね。
なら、おいらがやっちょるんな、こん地球上に存在すっリソースを使い回しちょっだけと。
で、問題は、価値っていうたぁ希少性じゃっどん、だって希少なもんな必ず価値があっで。価値があっもんな希少じゃっで。なにがそんしにとっせぇ、所有すっしにとって希少かはともかっ。
価値が希少性なら、あらゆっもんな得た瞬間に価値を落とす。手に入れたもんを欲しがらんってこと。じゃっで争いは絶えんし、社会は奪い合いと。
たてば労働、こんた労力と時間を奪わるっ代わりに物や物に交換でくっ物、貨幣を奪う、そげんやりとり。
じゃっでこん世界は虚しかちゅうか、結局は限られたリソースん使い回しと奪い合いに過ぎんわけ。
(追記)
たてば創作んアイデアは脳内に0から発生しちょっとかもしれんが、そんた物質化すっこっでしか確かめられず、そして物質化された時点で、潜在的なリソースん使用や。つまり、そん順番にそん文字を並ぶればおもしろい文がでくっちゅう法則(構造)ん顕現であり、二度と使えん(またやってん同じ文になっだけじゃっで)。
じゃっどん、もしこん世界に愛があったやさ、考えてみてほしか。
人間は好っなしに労力と時間を費やすどん、代わりに幸せを得っ。相手に奪わるっ・奪わすっこっで0から生み出すものがあっせぇ、そいが愛ん幸せ。
人間は好っなしと関わったときにこん地球上には存在せんもん、愛ん幸せを心ん中に作ぃがなっ。
そんた奪うことも奪わるっこともなかで争いん種にならんし、世界平和に繋がっじゃろうね。
愛んなか世界では物質主義が資本主義と共謀して絶え間なっ人々を争わせ・競わすっど。
新潟弁
人間が幸せになるためには消費…………入手して使用する必要があんだよね。
で、この世のすべては消滅しねえ。たとえば、ゴミは灰になるけど消えね。どんげな物質も変化することはあっても消滅することはねえらしい、科学的にね。
なら、俺らがやってるのは、この地球上に存在するリソース使い回してるだけなの。
で、問題は、価値っていうのは希少性らんだども、だって希少なものは必ず価値があるすけ。価値があるものは希少だーすけ。なにがその人にとって、所有する人にとって希少かはともかく。
価値が希少性なら、あらゆるものは得た瞬間に価値落とす。手に入れたもの欲しがらねえってこと。だーすけ争いは絶えねえし、社会は奪い合いなの。
たとえば労働、これは労力と時間奪われる代わりに物や物に交換できる物、貨幣奪う、そんげなやりとり。
だーすけこの世界は虚しいというか、結局は限られたリソースの使い回しと奪い合いに過ぎねえわけ。
(追記)
たとえば創作のアイデアは脳内に0から発生してるのかもしれねえが、それは物質化することでしか確かめられず、そして物質化された時点で、潜在的なリソースの使用だ。つまり、その順番にその文字並べればおもしぇ文ができるという法則(構造)の顕現であり、二度と使えねえ(またやっても同じ文になるだけだーすけ)。
でも、もしこの世界に愛があったらさ、考えてみてほしい。
人間は好きな人に労力と時間費やすども、代わりに幸せ得る。相手に奪われる・奪わせることで0から生み出すものがあって、それが愛の幸せ。
人間は好きな人と関わったときにこの地球上には存在しねえもの、愛の幸せ心の中に作ることができる。
それは奪うことも奪われることもねえすけ争いの種にならねえし、世界平和に繋がっろうね。
愛のねえ世界では物質主義が資本主義と共謀して絶え間のう人々争わせ・競わせるよ。
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