ある、とは、なにを言っているのか
ある、とはどういうことか。存在するということ。存在する、とはどういうことか。
逆に、存在しないことは考えられるだろうか。この世界が存在しないこと。いや、考えられない。なぜなら、この世界の定義そのものが存在するという意味を含んでいるからだ。
つまり、存在という言葉はなにも指し示していない。言葉は物事を分けるラベルとして使われるが、この世には存在するものしか存在しないのに分けられるわけがない。
ではなぜこの世界が存在しないことを考えられるのか?それは存在しないという考え方が可能な脳があるからだ。そこから妄想が生まれるのだが、「世界が存在しない妄想が存在する」というまた別の存在が生まれるだけで、やはり存在しているのである。
存在する、という言葉を使えば、世界をめちゃくちゃにできる。たとえば、この世界は「ヌマンチョトトロンヌン」が存在しない世界だし、「べべログロトトス」が存在しない世界だし、「グリカゲラシシク」が存在しない世界だし、「ラッラトヌストトピン」が存在しない世界でもある、と言える。これらの言葉は私がいま考えた造語だがそれを使っても文としては成り立ってしまう。
存在、その言葉を使うのはやめたらどうだろうか。哲学界が混乱しているのだろうか。
追記
水槽の脳は想定できる。その場合は世界は存在しないのかというと、そうではなくて、古い世界(脳が魅せられている世界)が新しい世界(水槽の脳がある世界)に更新されるだけである。
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