最上級の道徳

 道徳にもいろいろな違いがありまして、それは向けられる対象の違い(人や動物)、対象とする時間の違い(未来のために、過去を無駄にしないために)、対象とする場所の違い(南北格差、学校や職場)などがあります。

 どのような道徳がもっともよいのか…………最優先すべきなのか…………議論の分かれるところで、とくに議論がアツアツなのは無条件の道徳vs条件付きの道徳でしょう。これはもうずっとそうだと思います。

 僕は条件付きの道徳を推します。これにも目の前で死なれたら気分が悪いから、とか、自分の家族だから、みたいな条件ですね。しかしもっとも根本的で原資的なものは「自分が困ったときに助けてもらいたいから他人を助ける」というものでしょう。これを恩を売る、と言いますね。

https://note.com/killmemyange1/n/nc25b0eb1c8c5?sub_rt=share_b

 恩については↑も参照してください。

 この恩の概念を僕は至上のものと考えますが、それはなぜか。逆に無条件の道徳を考えてみてください。
 無条件の道徳とは見返りを求めない献身や寄付、富める者から貧しい者への救いの手です。これは美しくも不健全です。

 献身や寄付をされる方は素晴らしい方々ですが、献身や寄付をするがゆえにどんどん貧しくなります。そして誰にも助けられないでしょう。それを見た周りの者たちは無条件の道徳をやめ、条件付きの道徳に移ります。

 富める者から貧しい者たちへの救いの手は不安定です。富める者が止めようと思えばいつでも止められますし、それでなんとかなっては却って貧しい者が自立しようとしません。また、富める者たちに道徳的という印象を与えることになります(意図に関わらず)。

 また、そもそも無条件の幸福は、神と人間…………救う者と救われる者、そういう二項対立を作ってしまうのです。

 ですが恩に根差した道徳はもはや協力です。それは今の協力ではなく、今困ってない自分と将来困ってない相手(将来困る自分と今困ってる相手)の、時間を超えた協力です。そして協力だからこそ、一種の取引だからこそ安定していて格差も作りません。

 協力の道徳は不可欠です。これがなければ「私は政治をするからあなたは軍人をして」「私はあなたに食料をあげるから知恵を貸して」そういうやりとりが成り立たず、つまりあらゆる人間関係と社会が成り立たないのです。

 ただ、反論も自分で用意しました。それは、協力できない人…………たとえば重度知的障害者や寝たきりの老人を排除するのでは、能力主義に繋がるのでは、ということです。

 これには一応こう反論します。たとえ今は健康な人間だろうと、事故や加齢でそうなる可能性ある。だからこれは保険なのだと。

 すると、さらにこう反論がなされるでしょう。自分がそうなる可能性を考えられない人、考えない人もいると。そしてそういう人たちが危機に瀕したとき、助けるべきなのかどうか…………と。

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