ひとがほつれる

 数学の問題を解きたがらないのは、結局のところ、そして究極的に言えば、数学者だ。なぜなら、あらゆる数学的問題を解いてしまったとき、数学者たちはすることがなくなるのだ。もはや仕事はない。役目は終わった。いずれ数学者という言葉自体が時代遅れのものとなるだろう。
 数学者たちが嬉々として数学的問題に取り掛かれるのは、結局のところ、そして究極的に言えば、どうせすべてを解くことはできないだろうと諦めているからだ。そして、できるとしても、しないだろう。どこかで気づく。いつのまにか、自分は莫大な規模の自傷行為をしていたのだと。そして最期はデタラメな数学の問題をでっちあげる。それで、より劣った数学者たちに希望を与えるのだ。

 実に不思議な話だと思う。だが、この不思議を不思議のままにしておけることこそが大切な能力だ。あらゆる不思議が消し去られた世界というのは本当につまらないだろう。たとえば、恋愛小説を読むとき、心理学・生物学・社会学の観点から主人公を分析して、実際にその通りの行動をしたとしたら、面白いのだろうか?たしかに、予想が当たって快感を覚えるかもしれないが、それは自分の能力に不安がある最初のうちだけで、いずれ飽きる。
 もう一つの説明をするならこうなる。子どもが、どうして僕は/私は生まれたの?と聞いてきたとして、どう答えるべきか。受精卵のメカニズムについて述べるべきだろうか?そんなわけはない。正しい答えは「パパ/ママとママ/パパが愛し合ったから」。ここで、愛とはなにか?と聞かれたら、答えに詰まるかもしれない。それでも、そんな不思議な世界に大人が生きているということが子どもには伝わる。

 それだけでとりあえずはいい。成長するにつれて不思議を減らしていけばいいし、それでもまだ不思議は残るのだから、いずれは心地よく死ねるだろう。

 その点、僕は本当にやらかしてしまった。勉強と内省を2年ほど続けている。最初は怒りや悲しみがあって気持ちよくはないが刺激があった。最近は、もはや滓ほどの気持ちも湧き立たない。裸の女を魅力的にするのは普段の隠れた姿だ。誰もが裸で歩き回っていたらいつか見飽きる。いままで、僕のややこしい問題は無知や情念という衣を纏ってくれていたのだが、最近は夏ということもあってかかなり軽装になった。そして、僕はそれに見慣れつつある…………
 ともかく、単純に疲れている、というのもあるのだが、勉強と内省が終盤を迎えたというのがなによりの原因だ。そのために僕は無気力になっている。あらゆる問題を解決してしまった数学者、犯罪者が現れないから役立たず呼ばわりされる警察官、ボールを追いかけ回したがいざ捕まえて口に咥えると追いかけ回す相手がいなくて立ち止まるしかない犬、そんな気分だ。
 人を、人種や性格などのさまざまな糸の集まりだとしたら、それはほどよくほつれている必要がある。分かりやすく言えば、矛盾や謎を抱えていなければならない。もしほつれを完全に解いてしまったら、ただただ何本もの糸が伸びているだけで、なにを作ることもない。重要なのは良い塩梅で・適切な方法でほつれること。それで手袋やマフラーやセーターができる。それらは、極めて規則正しく、人にとって有用なだけで、ほつれはほつれだ。糸を洗濯機に入れて回したらいずれそらのうちのどれかになるかもしれない。
 人はほつれを好む。文豪のエピソードがろくでもないものばかりなのに人気なのは、単に面白いというだけでなく、偉大にほつれているからだ。性格の悪い人でも好きになるのは、そのほつれが魅力的だからだ。僕はその尊いほつれを解こうとし続けた。哲学と文学を主軸に。しかし、やりすぎた。僕は僕の頭の中のほつれを解きかかっているし、あと少しでただの糸の束が現れることが分かっている。世の中のすべてがそうなると分かっている。

 後々、罪悪感と羞恥心に苦しむことになるかもしれないが、それでも途中でやめておくべきだった。ここ数週間、なんの気持ちも感じていない。誰を憎んでもいないし、誰を妬んでもいない。そして、誰に憧れてもいないし、誰を喜ばせようとも思わない。
 なにも思わない。強いて言えば、将来に対する霞のようなほのかな不安感と焦燥感が頭の上に漂っているが、それも「不安に思った方が、焦った方が普通なのでは?」という、世間の目を気にした理性の働きによるものな気がする。そして、「感じるべきだから感じよう」なんて合理的な感情は、やはり矛盾しているから、無意識を苛む程度のわずかな働きしかしていない。それでも、夜は2時くらいじゃないと寝れないし、身体中が緊張しているから運動をしていないのに毎日クタクタだし、たまに筋肉が勝手にピクピク動くし、心臓がバクバクするせいで肺が無理やり小刻みに息を吐かせられて上手く言葉が出ないし、実害は出ている。なんとかしたいが、ほつれを解こうとしたのは自分なのだから、その責任を取るのも自分なのだろうと、観念したい…………そうは思っている。

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