存在の二面性・ネオモナド
・唯一としての存在
存在しか存在しない。存在しないものを言おうとすると、「存在しない存在」と、結局は存在してしまう。世界には存在しかないという意味で、世界には唯一性がある。
・全体としての存在
存在が唯一であるとして、唯一とはどういうことか。私は唯一であるが、私から血の一滴を採ったとしたら、そこには血の一滴を取られた私と血の一滴を採られる前の私が生まれる。私の存在が私の一部のすべての集合体=全体であるなら、存在には全体性がある。
存在は唯一であり全体である。世界とは存在のさまざまな現れ方である。バナナクレープは「甘い」とか「小麦粉が使われている」みたいな現れ方をした=表現のできる存在であり、しかし「存在する」としか言い表せない存在、それ以上は詳細に言えない存在、究極原因であり唯一の単子、それが存在である。
追記
存在はそれ自体で100%で、過剰にさせることはできても不足させること、110%にはできても90%にはできない。最小単位であるから。私の手の中のバナナクレープは唯一で、バナナやクレープ生地によって作られる全体でもある。そしてチョコをかければチョコバナナクレープ、バナナを取ればクレープ生地になるが、存在そのものはそのようにならない。
1=1というより数字=数字である。
人間はすべてを知ることはできない。それは存在そのものだから。
存在を感じることも考えることもできない。
存在という言葉を使っているが、そのせいで存在しないという文を作れてしまう。
存在そのものは語れないが、一側面を切り取れば語れる。
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