困りすぎると逆に相談できないよね

 困りごとが多いから相談したいんだけど、その困りごとが重すぎて相談できない。困りすぎて相談できない。しかし困りすぎているからこそ相談したいのだよ。

 親、教師、(いまは1人もいないが)友人、精神科医、元教授のおじさん、彼ら彼女らに「相談したいことがある」といえば付き合ってくれると思う。しかし、解決はできないだろう。俺については俺がいちばんよく知っていて、その俺が1年とか考えても、どうにもならないのだ。

 むしろ悪化もするかもしれない。ただでさえみんなと仲良くないのに、さらに気まずくなるかもしれない。そしてその妄想自体がまた困りごとの一つとなる。

 また、彼ら彼女ら自体が困りごとの一つになることすらある。親はうつ病と陰謀論者で離婚済みだし、教師とは誰とも仲良くなれなかった(むしろ1人とは不仲でさえあった)し、唯一の元友人は俺にトラウマの子供を預け、精神科医はイラつかせた。元教授先生とはメールで記事を送りながら数ヶ月かけてじっくり仲良くなろうと思う。もう心底は無理だと悟ったが。

 そもそもプライドが高いんだ。そして社会人・既婚者・子持ち・義務教育をちゃんと終えた人、を差別するきらいがある。しかしそういう人たちこそこの社会のスタンダードで、冷静で、(この社会では)賢いという矛盾。

 やはり自分のためにも他人のためにも1人で抱え込むのが最善という結論になる。俺が不幸のしわ寄せを食らうことで周りに幸せをもたらしているのだ。だからもう「相談してね」なんて言わないでほしい。「どうせ」「これが最善」と俺は不幸になるだけだ。

 それはお前の傲慢さだよ。

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