新幹線と馬
僕には社会性があまりないけども、社会については興味津々だ。テレビを点けるのは億劫なので、いつもニュースはスマホで見ている。家計を気にせずに済む学生が勉強のない余暇に安全なベッドの上で見るニュースというのはとても楽しい。
が、僕はある日、とんでもないニュースを見つけてしまった。それは私を疑問の谷に放り込み、怒りのマグマに突き落とし、嘆きの海に沈み込ませるような、戦争よりも物価高騰よりもセンセーショナルなニュースだった。
https://m.youtube.com/watch?v=LEI2AZtIECQ
新幹線「のぞみ」の一部車両にビジネススペース…………パソコン仕事のしやすい席と環境…………を設けるというのである。
戦争は、戦争はまあ起きる。悲しいがそういう仕組みが世界にはある。物価高騰もいい。今までが安すぎたところはあるし、賃金もある程度は伴って上がるだろう。
しかしこのニュースはとても許せなかった。
だって、考えてみてほしい。新幹線の中で仕事ができることになんの意味がある?より多く仕事ができると?それが仕事をする人にとってどんな意味がある?雇用主からすればよいことだろうけど、労働者からすれば、疲れるし(車内でできる範囲の)趣味の時間が削られるじゃないか。
社会は少数の資本家ではなく多数の労働者によって構成されているのにも関わらず、なんでニュースはこれを悲劇として扱わない?新聞社を作っている者はともかく、ニュースを作る人は同じ労働者だろう?同族が苦しめられているんだぞ?
そして、もし、このビジネススペースという、労働者からできる限りの労力と時間を奪おうとする欲望の化身を作ったのが、同じ労働者であれば、なんと悍ましいことだろうか。
これは果たして誰の「のぞみ」なのだろうか?言うまでもなく、たくさん働かせたい資本家の「のぞみ」だ。
これは極論だけれども、僕はいっそのこと、あらゆる地上の…………輸送に関わらない…………交通機関は、すべて馬と馬車でいいと思う。
たしかに、馬は車より遅いし車より手間がかかるだろう。だからなんだって言うんだ?早く職場に着いたところでその分の仕事を押し付けられるだけだぞ。それに、移動の方が疲れないだろうし労働者的には楽だ。
環境にもいい。ガソリンを使わないし、捨てられることもない。
動物であれば車のように雑に扱わないし、そんなにスピードは出せないから、事故も減るだろう。
子供の情操教育にもいいだろう。大人の情操教育にもいい。気ままな動物と暮らせば、多少の日常のランダム性…………他人のミスや自分のミス…………を許せるようになりそうだ。
そんな、新幹線どころか馬でもいいじゃないかと思う私にとって、あのニュースはとんでもない話だった。
僕は人類を幸せにしたいし、人類の暮らす社会をよりよくしたい。そして人類の多数派が労働者であれば、僕は、労働者のことを想って、このように思考を働かせるのだ。
あれ、僕も働いているな。余暇に。
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