永野と人間性

 善いところも悪いところもある、得意不得意がある、それが人間。完璧な人間はいない。善悪は見方によってどうにもなるし、なにかができることはなにかをできないことを意味している。

 だけども、というかいないからこそ、人間は完璧な人間を求める。人間は完璧さを求めるし、求められる。善人であればあるほど、なにもかも得意で上手いほどウケがいい。これは観念的な話じゃなくて、実際、学歴がよくて資格を多く持っててる人を企業は選ぶ。

 だから人間は善いところと得意を前面に押し出してコミュニケーションをし続けている。でも、もういいじゃないか。科学技術が発展して、いまやただ生きることは容易だ。生きること以外のすべては遊びでしかない。必要がないのだから。必要のないこと、コミュニケーションもそうで、それのためになんで精神分裂症に苦しめられるんだ。

 ソーシャル(コミュニケーション)=人間のいいところを求める時空間、プライベート(交流と交流しない自由)=すべてを許す時空間、その二つの時空間を1日で跨ぐ。5日間、それを続ける。頭がおかしくなるだろ。ソーシャルで溜まったストレスはその分プライベートで放出され、二極化し、本当の人間はどこにもいなくなる。

 社会が厳しくなれば、完璧を求めるようになり、完璧を求められることで、社会は厳しくなる。ねずみ算式に悪化する。人類が耐えられなくなればこの悪い風習も終わるかもしれないけど、それはシャボン玉が割れたみたいな爆発だから、やっぱり傷つく人が出るし、なんとか円満に落ち着かないだろうか。

 いま、誰かが不完全さをアピールすれば、より完璧な人を求められるし、不完全さを免罪符にするなど言われる。だから、全員で人間の不完全さをアピールしないといけない。完璧な人間が求められる社会では、ずっと人間の本性は見つけられないのが残念だ。

 芸人の永野さんのトークは上手くて面白いのはもちろん最高に好みだ。言っていることは過激だが、それがいい。芸人はもちろんファンやスタッフや制作会社までなんでも噛み付く。関係がないか、関係があってもどうにかなることを気にしないから。

 ただ悪口を言っているだけならつまらないし的外れだから誰も聞かないんだけど、永野さんはとってもお笑いが好きで、ずーっとお笑いが好きで、ファンなんだ。だから、ファンに噛み付くけど、同じファンだから意見が違うだけで仲間なんだ。しかも、その違う意見というのは芸能界の下から上までを30年くらいかけて1人で観察した芸人の観察のもとに行われているから、芯を食っている。

 永野さんの好きなところは、ちゃんと不幸そうなところ。ウエストランドとかずっとぐちぐち言ってるけど、アレだけ売れててM-1を獲ってそれであんなに不満が溜まってるわけがない。その白々しさが永野さんにはない。あと、永野さんは人に気を遣える。あえて遣わないときがあるだけで。ずっと冷静で、完璧に売れてないからこその俯瞰がある。

 自分の悪いところ不出来なところを隠さないで批判しているということは、批判されることも意味している。それを覚悟して、対等に戦うから、陰険であっても卑怯ではない。そして恥部に対して開き直れないからこそ、正々堂々していて、ブレない。

 でも既婚者なのは嫌だなあ。

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