恩の拡散

 上記の2つは恩について考えたものですが、では現在の恩はどうなのか、少しですが語ろうと思います。

 はっきり言って、現在では恩の概念が薄れつつあります。恩知らずは増え続けています。原因は2つあります。

 一つは、目眩です。我々はいつか老いて困り果てる、私は常に自らのほとんどを失うかもしれない、そういう未来への視力を奪われました。

 美容…………健康的な生活…………人間は老いに抗おうと必死です。享楽に浸ることで現実から逃げようとします。そして、企業もそれに漬け込んで商品を作ったり広告を展開したりします。
 保険のような無形のものも売ります。昔は要介護者は家族に支えられていましたが、今は健康なうちに金を貯めて自分を支えさせる時代です。これを自立していると呼ぶことはできますが、そのために仕事が生活と思考を蝕み、却って早く老化するでしょう。人生の1/3が仕事だとして、ちゃんと仕事をして死んだ90歳の人と遊び呆けて60歳で死んだ人ではどちらが老いているのでしょう。
 そんなこと、現代に振り回されている私たちは目眩のせいで分かりません。

 しかし、これは弱い理由です。もう一つの理由が重要です。

 それは、恩の拡散です。あなたの姉がアイスをくれたら彼女に恩があります。それが同じ村の人になってもまだその人にあるのだと分かるでしょう。では、それが町の人に、区の人に、市の人に、日本人になったとき…………もはや誰に恩があるのか分かりません。日常や社会の中で恩はもはや特定の個人に売られるのではなく日本人の誰かに売られています。そして、いつか誰かが私の恩を買ってくれる…………その保証はありません。恩を売るだけ売って誰も買ってくれずに困り果てる…………そんなことは容易に想像できます。

 プナンの中で恩が成り立った理由は2つあって、1つは人が少ないからだと思います。誰が誰に恩があるのか分かるため、返さないやつはすぐに村八分される…………ということです。もう2つ目の理由はそれを禁じるようなしっかりとした法がないからでしょうね。

 ですから、1億と2千万ほどの共同体になった日本で恩が成り立つわけありません。ただ人口が多いだけなら、その中の小さな共同体で成り立つでしょうが、もはや国内ではあらゆる産業が相互に結びつき、それを可能にするネットワークや行政やインフラがあるのです。

 恩という非科学的なものに頼る必要がなくなったと、これを進化として捉えることもできるでしょう。ですが進化とはもともと環境に適応するための現象だったはずなのに、人間は自分で環境を作って自分で適応しようとします。これはマッチポンプなのではないか…………地球とその上の人間以外の動物を巻き込んだマッチポンプなのではないか…………そう思わずにはいられません。

 さて、ではどうすれば恩が復活するのか…………それに対するそもそもの是非については興味がないので考察しないとして…………それは無条件の道徳のようなものから始まるでしょう。矛盾したとお思いですか。ですが現実問題として「恩を買ってもらえるか分からないから売らない」とすればいつまでも恩は始まりません。買われなくても売る意思が必要なのです。

 しかしそれは本当に無条件ではありません。それは、いつか恩の概念を得るであろう日本人全体に向けて売られた恩ですから、遅延性の条件付きの道徳です。そして、長期的だし、格差を作らないわけです。

 もちろんあなた1人が努力したところでほとんど無意味です。しかし、あなたが始めないのなら、誰が始めるのでしょうか。選挙と同じです。結果が出なくてもやることそれ自体に意味があります。

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