人を殺してはならない理由の考察(脳トレ用)

 ニーチェの言葉を自分なりに解釈してみた。

「人を殺すとさまざまな他人や制度、たとえば警察や経歴が肉体的に社会的にあなたを縛るため、あなたは人を殺すべきではない。しかし、その縛りがあなたにとって無意味である場合、たとえば死刑になってもいいくらい悲観している場合、あなたは人を殺せる」

 だから縛りを工夫しなければならない。多くの人にとって有意味でありながらも、その縛りで悲観的になって却って他人を害さない程度の効力であることが求められる。

 そして、悲観させない取り組みも求められる。教育とか福祉とかを充実させたり、過度なコマーシャルを制限したり、要は大衆の視野を広げて多くの選択肢を提示するということだ。

 だが、これはある意味で残忍な話だ。
私は私が幸せになる可能性を生まれた瞬間から人質として取られている。私は他人が幸せになる可能性を生まれた瞬間から人質として取っている。

 法を破ればさまざまな縛りが私や他人を幸せから遠ざける。その恐ろしさの前に私たちは日々の暮らしを制限されているのだ。実際に法律がなかったとして他人を傷つけるかというとそうでもないのかもしれないが。

 法のリヴァイアサン…………その権力の下に、自分の幸せの可能性を自分以外の他人に、1億と数千万人に少しずつ握らせることで、また、握ることで、この平和は成り立っているのだ。

 つまりこれは緩やかな相互確証破壊にすぎず、それに気づいた私は、悲観的になるしかないだろう。なあ……………………

 他人を殺してもいいし、殺さなくてもいい。そんな状況であえて殺さない。それが素晴らしいのだけれども、まあ作るより奪う方が手っ取り早いわけで、殺しちゃうんだなあ。私たちは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?