啓蒙作家

 なんとなく、あるいは、高レベルなメモ、もしくは達成感や楽しみのために、noteを書いていた。
 この経験をなにかに活かしたいなんて思っていなかったし、文芸誌の話が来たときも、まあうれしかったけど、それだけにうまくいかなかったときが怖くて期待してなかった。いまもうまくやれなかったらどうしようと怯えてる。
 とにかく、だからなに?といった気持ちだった。その経験が俺の人生をどう変えるんだと思っていた。

 でも今日は…………まあまあ行きたい大学にたぶん受かって…………ずっと会いたかった相互フォロワー2人と遊んで…………先生に貸してもらった文学についての本を読んで…………本当に乗り気だよ。
 疲れているが、疲れているだけ。その境地にまで至っている。

 俺が1ヶ月くらい悩んでいた矛盾は、弱い人間でも生きられるように社会を変えたいが、社会を変えられる=強い人間である、手段によって目的を破壊してしまう、ということだ。
 実際、俺は政治家先生や弁護士先生の講演会に行ったり、メモを数年に渡って書いたり、ジャンルの食わず嫌いをせずに本を読んだりしている。本気で政治家を目指していたときもある。躁と言われればそこまでだけども。

 しかし、今日、出会った2人にこの質問をしてみて、思いついたことがある。
 強弱が相対的なのだとしたら、強い俺が小説を書き、それから学んだ読者たちが強くなれば、強い俺は普通くらいの人間になる。俺は(永久的には)強くならずに社会をよりよく変えられる。

 俺はネガティブな結末を書くたびに…………それが思想である場合、いつも不満足感を感じていた。俺はネガティブな考え方をしていても、むしろ、だからこそポジティブに生きたい思っている。だから考えたことそのままに書いてもなんだか(理解はともかく)納得がいかない。

 でも、これからはうんとポジティブに締めくくろう。これをしてはいけない、で終わらせるのではなく、これをする代わりにこれをしよう、そういう提案にする。ヒヤッとさせるような警告ではなくて、その一歩先の。
 
 狂人の真似を貫徹すれば狂人になるみたいな感じで言動だけでもポジティブにしていれば心も多少はポジティブになるだろう…………ポジティブで困ることはない…………

 2024/2/5の22:35にそう思った。

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