反出生主義について

 私がよく見ているTwitterでは、不幸な人たちが「人生は苦悩に満ちている」「これからどんどん世の中は悪くなる」から子供を産むべきではない、という明らかなバイアスによって反出生主義を嘯いていますが、日本は良い国ですし、多少悪くなってもまだ良い国です。優れた文明がありますから。

 それに、そもそもの根拠が間違っています。私はどれだけ多くの人が…………100%はありえないので99%の人が…………幸せであろうと、1%で不幸になるのなら産むべきではないと思います。以下の道徳的・倫理的な理由があります。

 たとえば子供が重い障害を背負って生まれたとき、四肢も内臓も脳も不自由で欠陥があった場合、どのようにその責任を背負えるのでしょうか。そして、そういう子供が生まれる可能性があるというのになぜ子供を作れるのでしょうか。
 街中でどれだけ銃を乱射しても誰も死なないのなら問題はない…………犯したい女に打ったドラッグが実は彼女の病気を治す薬だったら問題はない…………そう思えるのでしょうか。子供が障害児でなければ責任も責められる理由もないのでしょうか。
 また、自分の子供が他人を殺したときにどう責任を取れるのでしょうか。殺したのは子供でも、殺すような子供を産んだのは親で、生まれなければ死ぬ人はいませんでした。もしその子供が成人していても親の責任が消えることはありません。そもそも成人すれば全責任が彼/彼女に移る理由はありません。
 親には子供を幸せにする責任があります。それがなければ、子供も親を不幸にしない責任を持たず、いずれ衰弱した親と成長した子で殺し合いや見殺しに発展します。しかし、責任を果たせるかどうかは分かりません。100%できることなんてありませんが、少なくとも子供を作らなければ責任も生まれません。

 一般的には、他人の人生に強制的に介入することは許されませんが、親は子に対しそうします。この社会に生むということによって、日本語を使うことや衣服を着ること、人と関わることや仕事をすること、その中で多くの時間と労力…………否応なく人生を消費させることを強制します。また、子供には、誰と暮らすか、どこにどれくらい住むか、それを決める権利がなく、生まれつき人権を…………交通権を侵害されています。人権のいくつかを剥奪された者たちを出生によって作るのです。

 生まれつき不幸の運命にあるような子供を作れば悪人になりますが、幸福の運命にあるような子供を作っても善人になることはありません。なぜなら、そもそもその子がいなければその子が幸せになる必要もないからです。

 地球上には限られたリソースしか存在せず、増えることはありません。木が机になるように状態が変化するだけです。その限りあるリソースの配分をめぐってあらゆる争いは起きますが、人間が少なければ配分する人間も少なくて争いは減るでしょう。それに伴う不幸も。

 反出生主義に対しそれでは人類が滅んでしまうという反論がありますが、滅んでも問題にはなりません。むしろ、動物たちは日々の快楽に興じ、一瞬の苦痛で死ぬでしょう。功利主義的には人間に劣るとは言えません。そして、動物の幸福も人間の幸福と別のものとして扱う理由がなければ、配慮する必要があります。

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