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感動は原体験に基づく 藤本タツキ『ルックバック』を読んで

『ファイアパンチ』『チェンソーマン』で有名な藤本タツキ氏の読切『ルックバック』が以前バズったようで、自分も読んでみた。

端的に言って、魂震えるほど感動した。

というのも、藤本タツキ氏を、自分はどこかちょっと引いて見ている点があった。
「ファイアパンチ」のインタビューを読んだとき、計算高い感じを受けてしまったからだ。(以下)

このインタビューを読み、

こうすれば読者はびっくりしたり、感動するんでしょ?

を狙ってやっています、みたいな雰囲気をプンプン感じてしまい、とりわけ『ファイアパンチ』の1話で興奮していた自分は、その打算さにがっかりしてしまった。

続く『チェンソーマン』も、どこか薄目でみている感じがあった。

だが、もうそれを撤回する。

本作『ルックバック』を読んで、全力で先生を追いたくなった。
それほど感動した。

この感動は自身の過去の思い出とリンクしたからだ。


話は、20年以上前になる。

藤野と同じく自分も小学生のころは、絵がうまかった。(あくまで小学生のレベルで)
県の賞とか受賞して、勉強も運動も中途半端な分、
絵に関しては多少自信があったし、それが自分の才能だと自負していた。

そして、中学に入った瞬間、本物の絵の天才に出会った。

本作の京本と出会った藤野と同じ衝撃である。

中学生のくせに

「え?これ、写真ですか?」

みたいな絵を描く女子生徒がいた。

忘れもしない中学1年の5月。
役場の建物を描くという写生会。

自分の中学は、周辺の小学校が複数集まる学だったので、初めての写生会は当然気合が入った。
違う小学校からきた生徒にも、自分の存在を知らしめるためだ。

しかし、上述のとおり、本物の天才によって、自分の思惑は脆くも崩れた。

上位者には美術の先生から金・銀・銅のペラペラの折り紙がつけられ、
学校の掲示板に貼られるのだが、
自分は銀で、その横には、でかでかと金の折り紙がつけられた彼女の絵があった。

崩れた構図の役場をでーんと中心に描いた、どこかイモい自分の絵と、
地面に咲いているタンポポを中心に、横にある水たまりから反射して反転した役場の建物を描いたスタイリッシュな彼女の絵。
水たまりに写った役場の絵の精緻さに度肝をぬかれた。

そもそも、絵の中心がタンポポと水たまりなのって、
写生会の主旨ちがくね?

と思えなくもないが、それを凌駕するほどのセンスを感じ、見るものの足をとめた。

中学生にしては・・・程度な自分の絵と(銅賞の人も)
これ、マジ中学生か? といわれる彼女の絵。

並んで飾ってあるのが恥ずかしいくらい、圧倒的な才能の差を感じた。
文部科学省かなんかの賞もとっていたと記憶している。

この結果に、もう自分の唯一のアイデンティティやら、
プライドやらはズタズタ。

ただ、本作の藤野と京本と決定的に違うのは、自分は、彼女と接近しなかったことだ。
お互いに存在は認識している程度で、
むしろ自分は、ルサンチマンをこじらせ、遠目で彼女を眺めては、やがて絵を真剣に描くのもやめていった。
真剣にやらなければこれ以上傷つかない、精一杯の強がりである。

次の年から適当な絵を白黒で提出するなど、意図的に絵から遠ざかっていった。絵を描こうとするたびに、彼女の存在チラつくので苛立ったのを覚えている。

そんな自分とは無関係に、彼女は絵を描き続けて、校内で表彰される機会も多くなっていった。

最初は、その姿に嫌悪感を抱いていたが、
やがて、そんなことがどうでもよくなっていくのが青春時代の良いところ。
一時は、一握りの自尊心に一生モノの傷がついて、このまま立ち直れない気がしたが、中学卒業する頃には、どうでもよくなっていった。

適当な人間なのである。

ただ、このことが人生で初めての挫折だったと、今なら思う。

高校も卒業してから数年、親から彼女はどこかの美大に入っていると聞いた。
その時も、全く接点はなかったので、大して驚きもしなかったが、
同時に聞かされた報告に度肝を抜かれた。

自殺したという。

母「あの絵のうまいこ、美大に入っていたみたいよ」

俺「へぇー」

母「自殺したんだって」

俺「は?」

みたいな流れだ。

ロクでもない田舎の公立中学だったので、捕まったとか少年院いったとかは聞いたことあったが、同級生の自殺は初めてだった。

20歳。

若すぎる彼女の死は、一瞬だけ昔の役場の絵を思い出させたが、
当時はそれ以上の感慨はわかなかったが、この後、自分は医学部を目指すことになって、その忙しさに忘れ去ってしまった。

その時の話は以下を参照。

https://note.com/killing_mode/n/nbecf0791207c



今まで、ずっと忘れていたのに、
本作を読んで彼女のことを再び思い出し、今物思いに耽っている。

彼女はなぜ死を選んだのか?

自殺に至る思いや、命を削ってまで到達した才能と努力の尊さに、
このことで自分は初めて泣いた。

そして後悔した。
京本と出会って漫画を描かなければと後悔する藤野と異なり、自分は

あの時、ひねくれず、もっと接点をもっていたら?

と、後悔した。

藤野と京本のように違う未来があったのか?
もっとスゴイ絵が出てきたのか?
そして
自ら死を選ばなくてすんだのか?

そんな詮無いことを考えては、失われた才能に思いを馳せている。

本作を読んで、感動とは、こういうことなのかと魂レベルで理解できました。
原体験に基づくとより強力なのだ。

この思い起こさせてくれた体験だけで、
この作品に対して、ただただ感謝し、
描いてくれた作家・藤本タツキ氏の一生ファンでありたいと思いました。


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