公正世界仮説とルッキズム~ブス=怠惰なクズ~
みなさんは「公正世界仮説」をご存じでしょうか。Wikipediaによると「人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。」とされています。より具体的な例を挙げると「努力は報われて然るべきだ」「悪いことをしたのだから罰が当たって当然だ」というような考え方は公正世界仮説に基づいたものです。「自業自得」や「因果応報」という言葉はまさに公正世界仮説的な考え方を端的に表した言葉であると言えます。この考え方の是非はともかく、誰しも努力は報われてほしいと思っているでしょうし、悪人には相応の罰が下ってほしいと思っているでしょうから、人間的に極自然な考え方です。
話は変わって「ルッキズム」という言葉をご存じでしょうか。同じくWikipediaによると「主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。」とされています。
実はこの二つの考え方は密接に関連した物なのですが、そのことを説明するのに今までは進化心理学や優生学の見地から述べる必要がありました。しかし昨今はこの二つの考え方の関連性がとあるもののメジャー化によってより一般的なレベルで説明できるようになっています。それが「美容整形」です。この記事では、公正世界仮説とルッキズムという二つの考え方が悪魔融合した結果、現代には「可愛いは正義、ブスは悪」という歪んだ価値観が一般化している、という話をします。
美容整形がより一般的に
美容整形に対する人々の考え方をネットから拾ったデータではありますがまとめてみたいと思います。
PR TIMESによると、16~39歳の女性590人を対象とした「コンプレックス克服のために、美容整形する人をどう思いますか?」というアンケートに対し肯定的に答えたのは90%という結果になりました。
Beauty postの共立美容外科調べのアンケートによると、男性の約5人に1人、女性の約3人に1人が美容整形を経験しているとのことです。(情報元が美容関係のメディアなので、回答者に偏りがある可能性はあります。)
アイスタイルによると、美容整形に対して「施術することを決めている」「施術の予定はないが、調べている」と答えたのは22.7%、「具体的に調べてはいないが、興味はある」と答えたのは50.5%になり、約4人に3人は美容整形に対して積極的であると言えます。(こちらも情報元が美容関係のため、偏りがある可能性があります。)
これらの結果から、美容整形に対して肯定的・積極的な人はマイノリティとは言えないレベルで多く存在することがわかります。
可愛いは作れる=可愛さのインフレ
以上のように美容整形も一般的なものとなり、以前より一般的だった美容の手段であるメイクも時代を経て洗練されたことで、「可愛いは作れる」時代になりました。これ自体は大変結構なことだと思います。可愛い自分という理想像に誰でもより容易に近づけるようになったわけですから。
しかし誰でも容易に可愛くなれる時代ということは、「可愛い」ことがより一般的になったということでもあります。可愛さのインフレとも言うことができるでしょう。例えば、今まで可愛さレベル50あれば「すごい!」と言われるような時代だったのが、可愛さがインフレしたことで可愛さレベル50というのはもはや一般的、それぐらいあって普通であり、今の時代で「すごい!」「可愛い!」と言われるには可愛さレベル80が必須というような時代になったのです。ソシャゲやドラゴンボールの戦闘力みたいですね。
可愛くないやつは努力していない
「可愛いは作れる」時代になり可愛さのインフレが起こると言いましたが、「可愛いは作れる」の弊害はもう一つあります。それは「可愛くないやつは努力していない」というロジックが成立することです。美容整形は眉をひそめられるようなものではなくなり、メイクの技術はYouTubeなどで簡単に学ぶことができます。そんな時代に可愛くないやつは可愛くなるための努力を怠った怠惰なクズだ、と理屈的には言えてしまうのです。そんな理屈が”可愛い人”たち、つまり金を稼いで美容整形をしたり、メイクの技術を日夜研究しているような人たちにとっては都合の良いものであるため、積極的に"信仰"するのでしょう。そしてこの理屈と信仰が、公正世界仮説と悪魔合体してしまったらどうなるでしょう?
怠惰なやつが幸せなのが許せない
ここで改めて公正世界仮説の理屈を振り返ると、「努力は報われて当然」というのが公正世界仮説の理屈です。そして”可愛い人”の間で信仰される理屈は「ブスは努力していない、美人は努力の賜物だ」というものです。この二つが組み合わさると「美人は努力したのだから幸せになって当然」「ブスは努力していないのだから幸せになれるはずがない」という理屈になります。私はこれこそがルッキズムによる生きづらさの根本なのではないかと考えています。 しかし実際には容姿に恵まれなくても、また容姿を良くする努力をしていなくても幸せな人はいます。それがルッキズム信者の信仰に反するため、彼女ら(彼ら)は幸せそうなブスを見ると口汚く罵り始めるのです。ルッキズムの信奉者にとって、幸せそうなブスに呪詛を吐くことはある種の宗教戦争であり、大義をかけた行いなのです。
ルッキズムの呪いは廻り続ける
こうしたルッキズム信者による「聖戦」の影響を受け、一部の人はルッキズム信仰に陥ります。ルッキズム信仰に陥った人もまた、"努力"して可愛い側に立ち、"怠惰"な人々に呪詛を吐く。また誰かがその影響を受けてルッキズム信仰に陥り………。ルッキズムとは伝染する病であり、呪いなのです。呪いは廻り続ける。実質呪術廻戦ですね。たぶんルッキズムの呪霊がいたら特級クラスだと思います。
自分の容姿に不満を抱き向上させようと努力するのは結構なことですが、その価値観を他人に押し付けないようにしましょう。本編は以上です。お読みいただきありがとうございました。
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