虚構

『リアル』という言葉が苦手だ。

実際に見たことも聞いたこともないものを『現実』という意味の言葉で表現するのに、むずがゆさを感じる。


たとえば、戦車が走り、砲弾が飛び交うアニメを観たとき、人は射撃の轟音や大地を駆け巡る戦車を『リアル』だ、と表現するだろう。

密室でのサスペンスで、または終末もので、人が争う様、狂っていく映画を観たとき、『リアル』だ、というかもしれない。

果たしてそれは本当に『リアル』なのか?



結局のところ、観た人間が『リアル』だと感じられる、或いは、感じられる部分への刺激こそ、創作物における『リアル』の正体だ。

戦車のアニメも、実際に本物の射撃音や駆動音を使用しているわけではない。戦車の射撃音には拳銃の射撃音などを合成したものを使用しているわけで、本物ではないが、本物に聞こえるように作られている。「それっぽいもの」でも、「本物」でもなく、視聴者がリアルだと感じられるレベルの音こそが『リアル』なのだ。

当然、創作物がリアルである必要なんてものははなっから存在しない。何故なら現実じゃないから。それでも、人は『リアルさ』を求める。人は理解できるものこそがリアルで、理解できないものはリアルではないから。


まあ、つまるところ理解した、と簡単に言いたくないってことなんだろうな。僕は。


オチなし。









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