スタバと百人一首
百人一首が隠れ特技である。
特技といっても、大会に出ていたとか「ちはやふる!」みたいな青春を送っていたわけではない。
ただ、なぜか実家を含めた親戚一同、正月に集まると必ず百人一首大会をするという家だった。小学校に入ったら大人と一緒に参加させられて、いつのまにか一番強くなっていた…という感じだ。
大人になって自分で購入するでもなく、でもなんとなく時折頭に浮かぶ歌たち。
札の紫の縁取りや絵札の蝉丸なんかのことを考えたり…
むらさめの、すみのゑの、ふくからに…と句を思いだしてみたり
みかきもり…の下の句なんだっけ?とか
いつみきとてか、イツミキトテカ 変な言葉だなって思ったり、
自分の中だけでただ、反芻し楽しむ、心の隅の愛しいものとして私の中に残り続けた。
もう数年前になるが、秋のこと。
当時2歳の娘を連れて買い物帰りにスタバに寄った。
少し混雑している店内で、私は白髪の老婦人の横に座り
娘を向かいのキッズチェアに座らせた。
その小柄な婦人が、娘をやさしく見ているのはわかっていた。子連れでいると、好意的な目線を感じるだけで心のどこかがほっとする。
「こんなに静かに座っていられるなんて、えらいわねぇ」
夫人が言った。私は素直にうれしく思い、
お礼を言った。それをきっかけにとりとめのない会話が始まった。
彼女は、近所に住む90代のご婦人で、たまにスタバに来ること、
もう30年近く住んでいるけれど、それでもよそ者扱いされてしまう土地柄のこと、この界隈のマンション事情のことなど、
まだ引っ越して数年の、田舎から出てきた私にはまったく見当もつかないそんな話をしてくれた。その中で彼女が言ったのだ。
「私は歌を詠むのが好きなんだけど、その歌の会もなくなっちゃったのよね。悲しいわ」
歌を詠むのが好き…という言葉になぜか私の心のどこかが光った。
「歌…短歌とか」「そうなのよ」
「私、百人一首が好きなんです」私はなぜか言った。
今までそんなこと誰にも言ったことがなかった。
「あら!そうなのね」と夫人は笑った。そして言った。
「むすめふさほせ、とかね。覚えたわね」
むすめふさほせ、とは、上の句がその文字から始まる札が1枚しかないもので、これを覚えるのが百人一首の入り口だと、私も父に教えられた。
うれしい。むすめふさほせ、を知ってる人と話しているなんて。
むすめふさほせ、の話をだれかとしたことが一回もないな、と思った。
「そういえばね」と彼女は言った。
「先日、肌寒い日にね
急に白菊の花が欲しくなってね、思い立って買いに行ったのよ。
そのときに思い浮かんだの。
心あてに 折らばや折らむ 初霜の…」
「おきまどわせる 白菊の花!!」
私たちは顔を合わせ、声を揃えて下の句を言った。
こんなに年齢が上の、さっき出会ったばかりのおばあちゃんなのに
心が通じ合った気がした。
「なんだかね、この句の気持ちがわかった気がしたのよ。
もう何百年も前に生きた人と通じ合った気がしてね、
とてもうれしい瞬間だったわ!」
幸せそうに弾む声で話す彼女に、私もうれしくなった。
何百年も前の歌のことを、何十年も前に故郷で遊んだかるたの歌のことを
今、この街で、何十年も離れた年の、会ったばかりの人と
話して、心が通じて、微笑みあっていることが不思議だった。
「まま~かえりたーい」
それまでおとなしくしていた娘が身をよじり始め
私はあわてて席を立つ準備を始めた。
「なんだかとても楽しかったわ。ありがとう」
「こちらこそです!!百人一首の話ができてすごくうれしかったです!」
お互いにそう言って、握手をして私たちは別れた。
その時以来、何度も足を運ぶスタバ。
けれどもその老婦人には今も会えずじまいだ。
でも、百人一首のことをふと思い出すとき、今は真っ先に
彼女の弾む声とあの歌が浮かんでくる。
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
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