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KiLi日和 『天然クルクルダンサーの正体』
*o*Welcome*o*
2000年7月12日 午前7時頃
元米軍の黒人の父とイラストレーターの日本人の母の間で生まれた
ニューヨークと愛知のハーフである
生まれは青森
育ちは日米
引っ越しは九回一人っ子の女
日本の名前はKiLi (キリ)
アメリカの名前はKaila (ケイラ)
見た目だけでジェシカと呼ばれる時もあるが
普通にキリと呼んでくれた方が返事はしやすい
基本的に明るい性格
だが人見知りで口下手である
9年もダンスをしているせいか
会話していると身振り手振りが多い
だから私と会話するときは「考えるな感じろ」の精神で察してほしい
趣味は詩を書くこと
趣味はイラストを描くこと
表現者である限り
趣味も違う形で表現力を磨き続けたい
特技はバク転と歌舞伎のにらみ
使う時はほとんどない
好きなものは酒とヤニ
と言いたいところだがやさぐれてると思われる
ファッションとメイクにしておこう
嫌いなものは人形
この世でこんなにも怖いものはない
トイストーリーは一番怖いホラー映画だ
“No one ever made a difference by being like everyone else”
by P.T. Barnum
座右の銘である
英語は分かるが訳せない
意味を知りたい方は
グーグル先生が助けてくれるだろう
KiLiと『ダンス』との出会い
小学校5年生の時だった。
ある日アメリカに行くことになった。
父親の転勤のせいだ。
生まれてから8年程日本に住んでいるのに急すぎた。
アメリカに行っても言語が分からない。
友達もできない。
助けてくれる人もいない。
そんな中で出会ったのがダンスであった。
ダンスが心の支えになった。
唯一自分自身でいられる場所であった。
やっと自分だけの居場所を見つけることができた。
アメリカは自己主張をしなければ生きていけない社会。
ほとんど日本に住んでいた私にとって困難であった。
馬鹿にされ、見下され、いないものとして扱われた。
でも私にはダンスしかなかった。
ダンスでしか自己表現ができない。
だからがんばった。
ダンスだけを信じて、、、
すると認めてもらえた。
褒めてもらえた。
「私」という存在に気づいてくれた。
そこで思った。
言語がなくても人に伝わる。
身体で表現することで誰かの気持ちを変えることができる。
ダンスは素晴らしい。
ダンスだけをしていきたい。
そう思いはじめた。
私にとってダンスはかけがえのない友達。
だから今も続けている。
KiLiの将来と夢
バックダンサーになりたい
振り付け師になりたい
そう思わせてくれたのは
きゃりーぱみゅぱみゅ先輩の
ライブ映像だった
顔を一切見せず
身体だけで表現をするダンサー
原宿の「KAWAII」という文化
個性的な世界観に惚れた
上京してすぐ
プロになれるか不安だった
そんな中インスタを見た
ASOBISYSTEMのオーディションこれだと思った
無事合格できた私は
現在ASOBINEXTの
ダンスボーカルユニットの候補生として
活動し始めている
振り付け師、演出家、バックダンサーなりたいなりたいなりたい夢は膨らむばかり
一歩でも近づけるように
一ミリでも手が届くように
マイクを持って踊る
まだまだ慣れない世界
せっかく頂いたチャンスを
逃すわけにはいかない
コロナ禍でライブ激減
苦手なSNS
迫ってくる年齢の焦り
様々な逆風の中で
戦い、もがき、苦しみながらも
私は踊り続ける夢に向かって、、、
最後に
最後まで読んでくれた方に感謝
KiLiに興味が湧いた方に感謝応援したくなった方に感謝
初回の投稿
マジメになってしまったが
普段の私はこのような人間ではない
上品な変態である
次回からの投稿
楽しい、面白い、意味不明
そんな投稿にしたい
カッコ良いKiLiが見たい方
Instagram : @kili_ilik
素のKiLiが見たい方
TikTok: kili_ilik2712
noteだけでなく
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