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御歳99才の私のおばあちゃんが死んだ。

おばあちゃんの顔が曖昧だ。思い出せない。
でも、私の中でのおばあちゃんの象徴である、カルキの抜けていない水で作ったお味噌汁の味や、年越しの寒い時期の高級な羽毛布団にくるまってもくるまっても尚あったまらない手足の先や、オニヤンマを追いかけて走った砂利道、洗濯物を畑まで干しにいく丸まった背中、些細なことでずっと笑いの止まらない私と母親とおばあちゃんの酸欠になりそうな笑い声、おじいちゃんの介護のための簡易便器や吸引機の音、お仏壇からする線香の匂い……みたいなものはいくらでも思い出せる。
仙台の一軒家と土地と一緒くたになっているおばあちゃんとの記憶。

─── これは、通夜に向かう新幹線の中で書いてみているのだけれど、そうそう、夏休みに一人で新幹線に乗れるかなって送り出されたんだっけ。新幹線ってこの年になっても特別感がある。
東北新幹線の変わらない車内チャイムを頼りに幼い記憶をひっぱりだす。あの時の私も、ちゃんと私だったのかな。

「西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった」

『西の魔女が死んだ』の本の冒頭はこう言って始まる。ふとケータイで家族から伝えられた訃報を目にした時に、この文章を思い出した。おばあちゃんが死んだ。私がイベント運営をして、インカムで現場の情報が耳の奥を通りすぎているときに。「死なないから!」って叫んでいた(らしい)のに死んだ。

そう、らしいんだけど私は実際には聞いていない。私のおばあちゃんエピソードはその8割型が母から聞いたエピソードだったということに今更気づいたりする。

「この子は8歳の時に死ぬって3人の医者に言われたんだけど、大事に育てられすぎて、兄弟の中で一番長生きしたのよ」だったり、「同居している精神障害を抱えた叔父の面倒はどうするのよと家族会議をしても「私、死なないから!」と言って、現実を直視せずに会議終了させてしまった」という話だったり。

母親の気性が激しいのもこのおばあちゃん譲りなんだと思う(かくいう私も、そういう要らん部分も受け継いでいるのだろうが)

さて、東京-仙台間は新幹線だともう、すぐ、着いてしまうようです。お仕事、もろもろスケジュール調整応じていただいた方々、ありがとうございます。
また文章にするかもしれないし、しないかもしれないし、こちらでも普通に仕事していると思います。

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