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第5回「いいお坊さん」の後ろ姿から学ぶこと

長野県塩尻市の善立寺副住職と郷福寺副住職のゆるゆる交換日記マガジン 第5回。前回はこちら

小路さんからのご質問

Q:うちの先代住職は修行に赴く私に「いいお坊さんになってきてね」と声をかけてくれました。それから「いいお坊さん」ってなんだろうと自問しているんですが、白馬さんが想う“いいお坊さん“ってどんなお坊さんですか?

善立寺の先代さま

 善立寺の先代さまは、浄土宗だけでなく真言宗の修行もされた方でした。松本市にある観音寺という真言宗のお寺のご住職を務めていたこともありました。
 私は直接お話させていただいたことはないのですが、私の父である郷福寺の住職は大変お世話になっていて、ご生前のことをよく話してくれます。
 父は信州の生まれではなく、婿養子として郷福寺にやってまいりました。現在、私たち副住職はお寺からお給料をいただいて生活していますが、父の時代はお寺から給料が出る時代ではありませんでした。そうは言っても副住職にも生活があります。どうしていたかというと、他のお寺のお手伝いをして、お布施をいただいて家族を養っていました。ところが、郷福寺に来たばかりの父には、右も左もわからず、声を掛けてくれるお寺もありません。そこで、善立寺の先代さまが声を掛けてくださったそうです。
 「黙って自分についてこい」
 お手伝いを必要としているあちこちのお寺に連れていってくださり、郷福寺に新しく来た若住職だからよろしく頼むと頭を下げてくださったそうです。来たばかりの頃は本当に苦しかったけど、先代さまがそうやって顔を繋いでくださったおかげで、家族を養うことができた。私がこうやって大人になれたのは、先代さまのその一言があったからこそ。
 小路さんにとっても大切な先代さまですが、私にとっても恩人であり、そして大先輩でもあります。そんな先代さまのおっしゃる「いいお坊さん」。先代さまから、ちょっと考えてごらんと言われているような気がします。

長野県白馬村にある東徳寺本堂。高野山真言宗住職の名前の中に先代さまのお名前も書かれています。

修行中に教えていただいた「同体の大悲」

 いいお坊さんとは何か。そう言われたときに真っ先に頭に浮かんだのは「同体の大悲(どうたいのだいひ)」という言葉でした。この言葉は、私が修行していたときに先生から教えていただいた言葉です。この意味を先生はこのように教えて下さいました。
 「目の前にお供えの大根と人参があるだろう。その大根と人参がそれぞれ、『大根くん』と『人参ちゃん』になるということだ。わかったか?」

 皆さん、これで意味がわかりますか?正直、私はそのとき頭の中にはハテナマークしかありませんでした。密教辞典という辞書を引きますと、次のように書かれています。

衆生を他者として憐れむのではなく、自己と同体の思いに住して必然的に起る救済への慈悲心

 これをざっくりとわかりやすくすると、

他者として上から目線で憐れむのではなく、同じ立場、同じ思いになることによって自然と起こる慈悲の心

 ということになります。
 他者とは人間だけではありません。この宇宙の全ての存在。そこで、人参と大根なのでしょう。人参やら大根やらと上から目線ではいけません。大根くんに人参ちゃん、同じ目線に立たなくてはいけません・・・。
 あぁ、読むのやめないでください・・・。皆さんもきっとハテナでいっぱいですよね。

 
同体とは ~瞑想の中で感じること~


高野山での修行の中で、私が一番好きな時間が「瞑想」の時間でした。瞑想というと、お堂の中で行うイメージがあるかもしれませんが、野座(やざ)といって外で行うときもありました。ときには山の中に入っていって、ときには夜にお堂の縁で。自然の中で瞑想をしていると、自分の存在もまた自然の一部であると感じられます。五感を通じて感じる鳥や虫の声、吹き抜ける風や降り注ぐ光、木々や草花、虫や動物たち。その全てが仏の存在そのものであり、自分もまたその一つである。そんな感覚の先に、「同体」という言葉があるのでしょう。この言葉はきっと、理論や頭で理解される概念ではないのだと私は考えます。

そうかと言って、私の日常が「同体の大悲」にあふれているかと言うと難しいところです。
 今日のことです。子どもと買い物にでかけて、アイスが食べたいと言われました。暑くなってきましたので、冷たくて甘いアイスを食べたいよね。まさしく同体の大慈悲心を起こしまして、二人で仲良くアイスを食べました。私は抹茶、子どもはバニラ。美味しかったねーと言いながら帰ってきますと、子どもは冷蔵庫に直行。満面の笑顔で持ってきましたよ。「アイスー!」慈悲も何もあったものではありません。ただただ、雷を落としました。「アイスは一日一個だと何度言ったらわかるんだ!!」

https://www.hisakata.co.jp/book/detail.asp?b=025222

 そんな子どもが、読んでとお気に入りの絵本を持ってきます。タイトルは「おべんとうバス」登場人物は「おにぎりさん」たちに「ハンバーグくん」。「同体」を一番わかっているのは、子どもなのかもしれません。子どもはみんな仏の子、ですから。

・・・話が脱線してきました。えぇとご質問、いいお坊さんとは何か、ですね。
そのヒントは、私たちの大先輩、先代さまの後ろ姿にあるように思います。

慈悲の心とは ~「いいお坊さん」の後ろ姿

 先代さまにとってあのときの私の父は、年齢も経験もずっと下の、どこの馬の骨ともわからない若造だったと思います。先代さまはお若いときからご苦労をされた方と聞いています。だからこそ、そんな若造の苦労を何も言わずともわかって下さって、一緒に頭を下げてくださった。少しでも、生活ができるようにして下さった。先代さまの後ろ姿に、いいお坊さんの姿が描かれているように思います。
「同体の大悲」がどんなときも心にあって、誰かを助けたり、生かしたりすることがさっとできる。そんな立ち居振る舞いをごく自然にできること、それが私の考えるいいお坊さんであり、自分の目標です。この、ごく自然に、ということが何より難しいことではありますね。目標と現実はまだまだ遠いのですが、目標は高く持っていたいと思います。

最後に、私からの質問

さて、それでは最後に私からの質問です。

Q:そんな先代さまから今のご住職さまへと、善立寺さんの法灯が継承されています。そしていつか、私たちも住職として晋山するときが来ます。どんな住職になっていきたいですか?

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