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フランクフルト学派流ミニマ・モラリア

コロナ禍以後でも守りたいミニマ・モラリア
―野蛮と文化の弁証法―
                      慶応義塾大学 菊澤研宗

 フランクフルト学派の総帥の一人であるユダヤ人アドルノは、「アウシュビッツ以後に詩を書くことは野蛮である」という有名な言葉を残した。アウシュビッツとは、ユダヤ人を大量虐殺したナチスの強制収容所のことであり、詩を書くこととは文化的なことを意味していた。

つまり、アドルノは、アウシュビッツ以後、文化的なことはすべてゴミくずとなってしまったと述べているのだ。科学技術が発展し、人類は野蛮な状態から抜け出し、文化的になったにもかかわらず、結局、野蛮から抜け出せていなかったわけである。科学技術が発達した文化的世界で、なぜあのような野蛮なナチズム全体主義が出現したのか。これが、フランクフルト学派の共通の問いであった。

では、コロナ禍は日本にどのような影響をもたらしたのか。戦後、日本は世界から野蛮なエコノミック・アニマルと呼ばれながらも、驚くべき速さで経済発展した。その後、日本社会も成熟し、関心が経済発展から文化的発展へとシフトした。島国のため、他の民族に侵害されることもなく、日本的な文化や文明が保護されて発展してきた。

そして、成熟社会の帰結である少子高齢化社会となった。その弊害である経済停滞を避けるため、政府はインバウンドを奨励し、多くの外国人が日本にやってきた。彼らは、日本は綺麗だとか、日本人は親切だとか、日本のおもてなし文化はすばらしいとかいい、日本固有の文化を賛美した。

しかし、コロナ禍以後、日本でも野蛮が復活してきている。政府が展開する持続化給付金制度やGo To Eat制度を悪用する機会主義的な人々が出現し、飲食店側でも機会主義的行動が出現しつつある。隙あらば、客からできるだけ多く料金をとろうという悪しき行動が見え隠れする。逆に、ホテルでは、悪質な客が増えて、ドライヤーやバスローブ、ハンガー等を片っ端から持ち帰る人が出現しているようだ。まさに、文化と野蛮の弁証法である。

このように、日本社会にもいろんな形で野蛮が出現しはじめている。しかし、コロナ禍以後でも以前と同じ対応してくれるレストランもあるし、ホテルでの滞在を満喫し、スタッフと友好関係を築くお客もいる。そういったささやかな行動の積み重ねが日本の文化・文明を守ることになる。「コロナ禍後でもレストランで食事することは野蛮ではない」といえるミニマ・モラリア(小道徳)を、われわれ日本人は守りつづけたいものだ。


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