歎異抄「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」

「何が善で、何が悪か、善悪の分別くらいついているよ」と私たちは思っていますが、本当でしょうか。

たとえば「ウソ」はどうでしょう。
「ウソをつくのは悪いこと」「正直に生きなさい」「ウソが嫌いな人間になりなさい」と私たちは親や教師に教えられて育ちますが、これだって単純ではありません。

ちゃんと実行していくとどうなるか。
「正直にいいますが、貴方はヒョットコみたいなお顔をしていらっしゃいますね」
「貴方は間違いなく末期ガンです。葬式の用意でもなさって下さい。私はウソが大嫌いですから申します」

たちまち「空気の読めない人」「嫌いな人」「悪い人」と、レッテルを貼られてしまうでしょう。

プレゼンを終えた同僚が「なんでもいい、気がついたことをずばずば言ってくれ」と言うので、「それなら」と感じたことを率直に言っていると次第に不機嫌になり、黙って行ってしまった、という話を聞いたことがあります。

どうも素直で正直な善人になろうとすると、悪人になるようです。


親鸞聖人は『歎異抄』で、こう仰っています。
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」(『歎異抄』後序)
“親鸞は、何が善やら悪やら、二つとも分からない”

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