SNSで人生が変わったので感謝しかありません
実を言うと私は小〜中学までいじめにあっていた。
無口な性格で自己主張が苦手なタイプである。だから人に言い返すことがほとんどなかった。
それをいいことにいじめられていたのだ。
地味だがじわじわ精神にくるいじめをうけていた。
今やアンチにしねと言われることもあるが、正直なにも傷つかない。
このメンタルタフネスは小さい頃に鍛えられたのかもしれない。
だが当時は心にずーっと雨が降っていたことを今でも覚えている。
親にも相談しなかったため、一人で抱え込んでいたからだ。
心の中では留まらず目から涙が溢れて枕を濡らした夜もあった。
高校に入ってからは野球部で活動していたが(中学も野球)、練習内容やチームプレーに馴染めなかった。
1000回素振りをやらされたこともあったのだが、何の意味があるのだろうか?
手の皮が剥け、フォームは崩れ、ただの持久力トレーニングであり、野球という競技においてはマイナスである。
野球は瞬発的な運動と休憩の繰り返しを行うスポーツだ。
であれば1000回の素振りは非合理的である。なぜやるのか意味がわからなかった。が、やらされるままにやっていた。
チームプレーに関しても、1人がエラーしたらみんなで罰として走らされた。
なぜ俺が走る必要がある?お前が1人で尻を拭けばいいだろ。
意味がわからない。
そんな性格だったのでキャプテンと揉めたこともあった。
「お前が声を出さないから士気が下がる」
と言われたことがあった。
しかし声を出したところでパフォーマンスは変わらない。
変わるのは雰囲気だけである。
さらに夏の暑い日は体力の消耗が激しいため、声を出さずに体力を温存した方が合理的だ。
出さない方がいい。そりゃそうだろう。
大学や社会人になっても集団行動は苦手であった。
無駄な話し合いも多くあった。病院内でのカンファレンスは正直いらない。
まとまってやるより、個々人が担当のDrと連携をとって行えば良いだけだ。
それをいちいち毎週集まっておこなっていたが意味がわからない。
なぜやっているのだろう。
決められているから?糞食らえだ。
ルールなんてどんどん変えて合理的にしていくべきだ。
と心の中では思っていたが表には出さなかった。ルールを変えるのは苦労するからだ。
リハビリ部門の責任者にそも旨を言い、その上の部長に話がいき、さらにその上の全体の長に話がいき、そこで受理されてルールが変わる。
こんな面倒な段階を踏まなければいけない。
話すと長くなるため割愛するが、ともかく他人と足並みを揃えることや調和することが非常に苦手であった。
ただ調和して生きていかなければいけないと。人生とはそういう物だと。折り合いをつけて生きていた。
だがSNSを本格的に運用してからは変わった。
こういうことが可能なのだ。
なんて革新的なのだ。最高だ、最高すぎる。私にとっては魔法のツールだ。
お客さんも仲間も、自分の価値観に共鳴した人とだけつるめばいい。
知り合いのトレーナーは疲れるお客さんとの対応に疲弊しているらしい。
だが僕から言わせると、そんな奴は即座に切ってしまえばいい。
一度きりの人生、苦手な人のために時間を使うなんてやめるべきだ。
例え稼ぎがあまり出なかったとしても、精神の安定を優先すべきだ。
前回の記事で幸せに生きる方法を書いたが、結局ストレスを減らすことが最強である。
そのためにSNSはうってつけなのだ。
だがこの素晴らしさを皆わかっていない。運用するのは難しいと捉えている人もいる。
違う、違うんだよ。
たしかに慣れるまで時間がかかるが、慣れて集客できれば幸福度がグッと上がるのだ。
このような想いがある。
だからSNSを教える仕事をしているのだ。ありがとうSNS。
「SNSで人生が変わったので感謝ありません」
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