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大学受験うまくいってもいかなくてもそれが人生の全てではないよ編

夏!高校生や浪人生、夏期講習などを利用して夏の追い込みを頑張っていることでしょう。
一生懸命、目の前のことをやっていたら、きっと未来はいい方向に進む。そんな、応援も含めた僕の経歴を書きます。

僕の大学時代

僕は医学部医学科を目指していて、3浪した身です。そこまで、浪人したんだから合格したよね⁈と思うでしょうが、それがうまくいかなかったんですね。
全然行く気のなかった、私立大学に進学しました。学科の内容としては、工学と医学を融合させた所でした。(でもほとんどが物理学!いわゆる四力と呼ばれる工学部に必須な科目ばかりでした)

たまにお医者さんの先生の講義があるたびに、いつか受験リベンジしてやる!と思ってました笑

しかし、僕の所属していた学科は、必須科目の課題が毎週キツい!留年率が高い!指導が厳しい!ということで、日々学科の授業で手一杯で再受験など考えられなくなっていきました。

とりあえず目の前にあることをやってみた

僕の学科でのモチベーションは、学科で唯一の
“細胞を扱える研究室”に入ること。

医工融合ということで、配属されるラボは、医療用ロボットの研究、生体適合性材料の研究、数理モデルをの研究、医用機器の設計をする研究など、物理学を主にした研究室ばかりでした。
でも僕は生物学を極めたかった。(なんで受験のときに違う学科を受けなかったんだよ⁇という方もいると思いますが、完全なリサーチ不足でした笑笑)

しかしその中で一つだけ、細胞をメインに扱える、再生医療の研究をする研究室があったのです。見つけた時、文字が光り輝いていました✨笑

ここだ!!!と思いました。
希望する研究室に配属されるには、3回生の秋時点で、学科内で上位の成績を取っている必要があります。なので、あとは必死に勉強していました。物理は朝5時から毎日、授業の復習をしていたし、つぎに苦手な数学は1ヶ月前からテスト対策をしていました。TOEICも英語のモチベーションを高めるために、定期的に受けてました。

いよいよ研究室配属

ついに、研究室配属の時がきました。
1つの教室に集められた学生の前に、順位の書いた紙が配られます。紙の色は赤と白。
通称: 赤紙は、成績優秀者で基本的には希望する研究室に入れます。白紙は、本人の希望は取られるが、希望者が研究室の受け入れ人数を超えた場合に抽選になります。

僕の目の前に置かれた紙は…

そして、“1“

と書かれていました。

1!?

そう、
僕は学年1位の成績を取っていたのです。

信じられませんでした。
大学受験に失敗した落ちこぼれが、入学後必死に勉強した結果、1位になりました。苦手な物理学も克服して!そして、無事に配属研究室に所属でき、晴れて細胞の研究をすることになったのです。

そして、ここからは予想していなかった進路に進んで行くのです。

学部4回生の転機

実験やるぞーーー!と意気込んで、研究に乗り込みました。しかし、運の悪いことにこの時、研究室で使っていた細胞の調子が悪くて(細胞は凍結して保存するのですが、融解して使う細胞がシャーレに定着しなかったり、増えなかったりした)なかなかメインの実験に手が付けられませんでした。ちょっと苦しかったです笑

日々、先輩と細胞の生育が安定する条件検討をする毎日でした。
思い返すと僕は実験を開始した頃、トラブルに見舞われることが多く、基本的な実験条件を見直したりすることが多かったです。
(決して実験が下手とかではなく、誰かが希釈し間違えた試薬を使うハメになったり、試薬のロットが変わったせいだったりとかそういうトラブル)
おかげでトラブルシュートには強いかなと勝手に思っています笑笑

細胞の培養も条件がわかってきて、安定した頃、
ジャーナルクラブ(研究室内で新しい論文を紹介する会)での発表の番が回ってきました。

僕はNatureの改変型CRISPR Cas9の技術の論文を選びました。Natureは、基本的な知識を省いて内容が書かれることが多く、学部4回、初めてのジャーナルで選ぶ論文にしては難しく、四苦八苦しながら読み切りました。

それなりに、分かりやすく発表できたと思います。

その一週間後、指導教員に呼ばれ、
「遺伝子改変マウスを作るの興味ない⁈」
と聞かれました。僕は新しいプロジェクトがやれるのかと嬉しくなって、「やります」と二つ返事で答えました。

このとき僕は、某国公立大の一流研究室で指導を受けられるようになること。
そしてその研究室で博士課程後期に進むことになるなんて夢にも思っていませんでした。

置いていかれた事件。

遺伝子改変マウスを作ることになり、
僕の研究室は遺伝子改変マウスを作るプロフェッショナルの研究室と共同研究をすることになりました。

僕は共同研究先に行って、目的のマウスの作製と共に、マウスの扱いを覚えてくることになりました。週に1, 2回共同研究先にお邪魔するような形のイメージでした。

共同研究開始の挨拶がてら、
教授、准教授、技術補佐官、僕の4人で
某国公立大研究室に向かいました。

車の中で話を聞いていると、
遺伝子改変マウス作製にはこの間ジャーナルで読んだCRISPR Cas9を使うらしいことが分かりました。(だからこのプロジェクトが僕に回ってきたのかと理解しました)

さらに向かっている研究室はNatureやScience(学術誌では超ダントツ一流)を出すほどの一流ラボであることが分かってきました。

おぉ、緊張してきた。

初めて会う共同研究先の教授は
こってこての関西弁、めちゃくちゃフレンドリーな方でした。
僕はこのラボでしばらく指導を受けることになり、ラボのルールを聞きに行く為、一緒に来た先生方とは別室に行きました。

1時間ほどして、戻ってくると、
教授、准教授、技術補佐官の姿はなく、
帰ってしまったようでした。

帰った⁈(°▽°)

置いていかれた僕は仕方なく、
その日の夕方にあるという共同研究先のラボミーティングに参加することになりました。

あいつ誰だよ⁇みたいな目で見られながら参加したラボミーティングは、なんと英語!
分野も全然違うので全然分からなかったのを覚えたいます。
なのに、教授に質問あるやろ?と無茶ぶりされて、何かしら苦しみながら質問しました。。。

なんで日だ!!!

でも、ここで置いていかれたからこそ
今の僕があるのです。

その後、僕は毎日この共同研究室に通いました。
そして、遺伝子改変マウスの作製方法とマウスの扱いを学び、実験がもっと楽しくなりました。
その結果、博士後期課程から正式にこの研究室に所属しています。厳しく、時におもろく⁇指導してくれる教授やラボメンバーが大好きだし、設備が整っているおかげで色んな実験ができるようになりました。

学部4回の時の
この出会いに本当に感謝しています。

最後に目の前のことを一生懸命やるのだ!

僕は医学科には行けなかったけど、
そのおかげで今、研究者になる!という
新しい目標ができています。

目の前のことを必死にやってたら、
気づいたら某国公立大の一流研究室で指導を受けられるようになりました。

かなり運が良いです。
でもそれなりに頑張っていた僕の姿を
前ラボの教授が見てくれていたおかげだと思います。本当に感謝しています。

大学に入りたての頃は、大学受験失敗したし、恥だ、とか思っていました。でも、思い返すと大学受験は人生の全てではないし、失敗しても成功してもこの後にいくらでも道はあるのです。

もちろん、今頑張っている受験生には、
第一希望に行って欲しい!
でも、大学受験が人生の全てではないから!
気負いすぎず、楽しみながら勉強して欲しいです。

頑張っていたら、きっといい方向に進みます!