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自由は秩序を作り、強制は無秩序を作る。(ファーブル:昆虫の行動研究の先駆者)


このツイートに対して、「かわこう」さんからコメントを頂き、自分でも考えることがあったので、追記みたいな感じです☟





自由は秩序を作り、


これは、個人的には、森の幼稚園でメチャクチャ経験していることです。

森の幼稚園は普段森の中で活動しており、自由遊びの場はもちろん森の中にあります。

遊び場が森の中にあるので、一般の幼稚園にあるような園舎を囲む柵であったり、教室同士を区切る壁がありません。それはつまり、森の幼稚園の子ども達は自由に遊ぶ中で、「どこまでなら遊んで良いのか」という規律を”自発的に”守ることが求められます。

森の中で子どもが大人と離れ離れになると大変危険ですので、先生側はしっかりと遊び場の境界を子ども達に伝えますし、子ども達もしっかりと記憶して守ります。

そうすることで、「自由」に遊んでいる子ども達の中に「秩序」が生まれます。「ここまでなら自由に遊んでも良い」という「秩序」を子ども達は享受します。


強制は無秩序を作る


この文章に対する自分の理解としては以下のような感じです。

例えば、森の幼稚園の弁当のルールとして「お菓子を持ってきてはいけない」というルールを作り、子ども達に守るように強制したとします。

そこで、そのルールに反発する子ども達がいない場合は、「強制」が「秩序」を生み出すと思います。

しかし、現実は(というか、子ども達は…笑)そんなに甘くないのかなと思ってます。その強制的なルールを嫌と感じて、反発心からお菓子を持ってこようとする子どもがいても不思議ではありません。

ルールとして掲げられてる以上、その子どもは正々堂々とお菓子を持ってくることは無いでしょう。持ってくるとしたら、ルールを守らせようとする先生の目を盗むはずです。

おにぎりの具の中にお菓子を入れるとか、トイレに行くふりをして先生から離れたところでポケットに入れていたお菓子を食べるとか、ありとあらゆる方法を使って、ルールを破ることが出来ます。

そうなれば、もう無秩序の始まりです。

一人の子どもが成功できたら、他の子に自慢するでしょう。そうやって、どんどん話が子ども達の中で広まって、陰でコソコソとやるようになったら完全なる「無秩序」です。


個人的な、感覚的な、まとめ


つまり、強制というのは、円の中に収めようとする行為だと考えています。で、円の中に収めようとしても、どうにかしてかいくぐって逃げる奴がいるから、綺麗な円を描けずに、穴の開いたぼこぼこの円になってしまう(=無秩序)って感じで理解してます。


「強制」という名の円から、飛び出すことで、円の中は「無秩序」となる


一方、「自由は秩序を作り」というのは、まず、各々が好き勝手に行動します(=自由)。で、一番大きく好き勝手に行動してるやつを基準にして円を描く感じです。そうすると、全員を円の中に収めることができて、「秩序」が形成されます。


「自由」に動かして、一番大きく動く下向きの矢印が収まるように円を描けば、
綺麗な「秩序」の出来上がり


なんか「強制は無秩序を作る」ってのは、ルールを状況に応じて改善することなく、そのままのルールを全員に「強制」しようとする感じ。で、抜け道を見つけた奴がその強制から脱却することで、無秩序が生じる。

「自由は秩序を作る」ってのは、ルールを状況に応じて改善するんですよね。で、全員が収まるような大きさのルールを用いることで、その中で秩序が生じるって感じ。



というか、

「”自由”を基盤にしているからこそ、行動を制限するようなルールは”秩序”として機能し、”強制”を基盤にしているからこそ、行動を制限するようなルールが機能しない場合は”無秩序”が生じてしまう」

って感じかな…笑


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