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「皆さんが、先生になったとき、生徒から『なぜ学ばなければならないのか』と聞かれたら、どう答えますか。」


この記事を読んだことをきっかけで、ちょっとだけ考えてみた…





参考動画☟


・フェルミの動画(【漫画】何のために勉強するのか?【マンガ動画】https://www.youtube.com/watch?v=z0zp-jmdZfQ











・自分らしく生きる

・人生の選択肢を広げる

・人生の幅を広げて豊かになる

・勉強できるという事は恵まれているという事


・フェルミの動画(【漫画】学生へ。勉強しないと大損です。【マンガ動画】https://www.youtube.com/watch?v=IWgljLRDFIo&t=323s



・無能でも生きていく為


・島田紳助「勉強の意義」(https://www.youtube.com/watch?v=LCiPwCDwc28






・人生の選択肢を広げる


・【女王の教室】進藤 ひかる(福田麻由子)「どうして勉強するんですか?私達」(https://www.youtube.com/watch?v=CmEwy6MLUS0&t=3s



いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?勉強はしなきゃいけないモノではありません。したいと思うモノです。

・・・もっともっと知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探求心の無い人間は人間ではありません。猿以下です。

・・・好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は受験の為にするのではありません。立派な大人になる為にするんです。


まとめ:個人的感想


上記の参考動画を見て得た意見をまとめると、

勉強の目的ってのは、

「人生の選択肢を広げる」

「勉強はしたいと思うモノ」

って感じなのかなと思いました。


たぶん、この「なんで勉強しないといけないのか?」って質問をする生徒が抱える心情的部分って、

「この教科は”俺にとって”全然面白くないし、”俺の”将来に何の役にも立たねえのに、何で”俺は”勉強しないといけないの?」って感じかなと思ってます。

世にも奇妙な物語の「友子の長い夜」的な…笑☟


勉強得意な子が「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」って質問しませんよね…?笑

なので、「”俺”は勉強したくない!」という気持ちをぶつける為に、あえて「なぜ勉強しないといけないのか?」と問いかけているのかなと思います。

で、考えるべきなのは、この質問に答えたところで「その子が勉強をするようになるのか?」ということです。

本人が「嫌っ!」って言っているモノを説得させてやらせるって相当難しいなと思います。

「勉強することで選択肢が増えるよ!」って言ったところで、「そんなんどうでもいいわ!」って返されたら終わりです。

そういう難しい状況にの中で、成功するしないは一先ず置いといて、その子に個人的に伝えたいなと思うのは、

「その苦手な部分が貴方を決めるのではなく、得意な部分が貴方を決めるのだから、その苦手な部分を過大に捉えるのは良くない」

という事ですかね。

苦手な部分に気が行き過ぎて、「俺って駄目な人間じゃん…」って思わないで欲しい訳です。苦手なことを理由に自己肯定感を下げないで欲しいのです。


嫌いな教科があれば、好きな教科があるはずですから、嫌いな教科にぶち当たってる時は好きな教科(教科が無ければ、得意な事!)のことを考えて、「俺には~があるから大丈夫だし!」って心のバランスを保ってほしいですね。

実際に自分は中学生の頃、合唱がめちゃくちゃ嫌いでした。なんか合唱大会に向けてクラスで朝練とかしてたんですけど、その時期にちょうど学校代表の駅伝メンバーに選ばれてそっちの朝練もやっていたのです(中学に陸上部が無いので、各部活動の足の速い奴を寄せ集めてチームを作ってた)。

合唱が嫌いだった自分は駅伝の練習が終わった後にストレッチを長めにして、合唱練習にわざと遅れたりしてました(ささやかな抵抗として、口パクもしてた…笑)。

ただ歌ってる時は、「自分は歌うのは苦手だけど、他の人達よりかは速く走れるもんね!」と思っていたし、強制的に参加させられる合唱練習という『不幸』があるからこそ、学校内の代表として選抜され、自分の得意なことを、自発的に行える駅伝練習は『幸せすぎる』と思ってました…!笑

なので、自分としてはその子の得意な部分を事前に把握しておいて、その子から「なんで勉強しないといけないのか?」と質問された時には、

「Aはサッカーが得意で、数学が苦手だよな。数学の勉強は辛いかもしれんが、その辛さがあるからこそ、サッカーする時の楽しさをより一層味わえるってもんだ。言うてみれば、苦手な数学は、サッカーの楽しさを引き立てる”スパイス”だ。ちゃちゃっとテキトーに数学終わらせて、サッカーやってこい!」

みたいなことを言いたいですね…


現時点の自分としては、


①宿題を「勉強」として捉えるのであれば、

「なぜ勉強しないといけないのか?」という問いには、

「君の”仕事”だから」と答えます。

(学生の頃に学童保育で短期間でしたがアルバイトをしたことがあります。そこで子ども達が宿題をする時間があったのですが、まぁ、きちんとやる子どもとそうじゃない子どもがいましたよね。

自分自身は真面目ちゃんだったし、そもそも「宿題をせずに遊ぶ」っていう発想が無かったので、どうも宿題をせずに遊びたがる子ども達の気持ちが分からないですね…

遊びたがる子どもには、「仕事だからやれ」って言っといて、「文句があるなら宿題を出した先生に言え」って感じですかね…)


②学校に行くことを「勉強」として捉えるのであれば、

「なぜ勉強しないといけないのか?」という問いには、

「集団の中で己の個を確立させる為」と答えます。

(別に学校じゃなくても、集団に属す環境に身を置いていれば、それで良いかなと個人的には思ってます。)


③勉強することを「勉強」として捉えるのであれば、

「なぜ勉強しないといけないのか?」という問いには、

「やりたいならやる、やりたくなければやらなくていい」と答えます。


④自分の嫌いな教科をやりたくないが故の言い訳であれば、

「なぜ勉強しないといけないのか?」という問いには、

「自分の得意な事をより楽しめるようになる為」と答えます。


おまけ:なぜ人を殺してはいけないのか?




クラスの子ども達に対しての説明☟



実際に質問してきた子どもへの説明☟



以前読んだ本に書いてあったのは、

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いには、答えてはいけない

ということでした。

言葉とは全体のある一部分を切り取ったモノであるため、

質問に答えをつけることによって、その答えに当てはまらない時には、

「人を殺しても良い」という事になってしまうから

と書いてありました。

上記の女王の教室であれば、「権利が無いから人を殺してはいけない」と阿久津先生は言っていますが、じゃあ、「権利があれば人を殺しても良いのか?」という新たな展開が出てきます。

読んだ本の結論としては、この「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問には答えずに、質問者自身で答えを出させなさいと書かれていました。

「夜と霧」の作者であるフランクルが「君達が人生に生きる目的を問うてはいけない。人生が君達に生きる目的を問うているのだから。」と言ったことと同じ感じです。

質問者自身が「人を殺してはいけないんだ」という結論に達しないといけないのです。

まぁ、「殺すことを望む快楽殺人者」に対しては、「お前には他人を殺す権利は無い!」と教えてあげるしか他ない感じですかね…

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