神様じゃなくて、自分を信じろよ!ていうか、なめんなよ!
人通りの多い大通りを歩いていると、宗教の勧誘をしている男性2人組が逆方向から向かってきた。
で、自分の前にいたドイツ人ぽい人に話しかけたのだが、その人が一言言うと、彼らは諦めて次のターゲット探しに移った。
彼らが自分の横を通り過ぎた時に、彼らがなんか軽く話し合っていて、その後に自分を追っかけてきて、勧誘してきたのである。
この時点で、「あ、なんか狙われてるわ…」っていうちょっとした恐怖感を持ったし、「コイツならイケる」っていうなんか見下されたような気分になった。
なんか話しかけてきたが、マジで何を言っているのか分からなかったので、自分の目の前の人が断ったように自分も一言「忙しいんで!」と言って、立ち去ろうとしたのだが、彼らは執拗についてきやがった。
なんで、ドイツ人ぽい人が一言言えばすたこら逃げるくせに、俺が一言言っても逃げんのんかい!人で分けてるのが、なめられてる気がしてマジで不快だった…
で、「ドイツ語分からんねん、じゃあな」って言ったら、『どこの国出身?』って歩きながら聞いてきやがったので、「日本」って答えると、『英語とドイツ語ならどっちが出来る?』「ドイツ語」『神様は信じる?』「俺は無宗教じゃい」『マジ?このサイトは日本語でも書かれているから、ぜひ見てよ!』と言われ、カードを渡してきた。
カード貰ったら退散するだろうと思ったので、カードを取ると、彼らは別の方向へと歩いて行った…
カードの裏面に「findechristus.org」と書いてあるが、見る気なんかさらさら起きない。
というか、神様を信じるんじゃなくて、「自分を信じろよ」とこの手の人達に対してはいつも思う。
自信とは自分を信じると書く。概念でしかない神様を信じるより、「今、ここ」を生きている自分を信じた方がよっぽと良い気がするのだが。「叶わぬ時の神頼み」程度の存在なので、個人的には人事を尽くして天命を待つが如く、自分を信じて行動することがまずは一番大事だと思っている。
宗教が心の安定剤としての機能しているのであれば、他人を信じるよりも、自分を信じて心の安定を得た方が良いのではないか?自分を信じるに値する為の努力をせずに、他人を安易に信じて、己の心を安定させようとする、そんなラクな道への招待なんて真っ平ごめんである。
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