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「良い先生というのは、生徒達に対して、彼らが何を出来るのかを示すものです。」というセリフが、大好きなドイツのコメディードラマに出ていたので紹介!
そのセリフはAlmaniaシーズン2の第7話の17:31に出てくる。
<2人の登場人物>
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👆Stinpel。学校の先生。生徒達が試験に向けて自信が無いことについて悩んでる。
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👆Müller。学校の副校長。Stinpelの上司的存在。
話の流れとしては、
主人公のStinpelが担任を務めるクラスの生徒達が、卒業試験を控えているのだが、
問題校の生徒ということもあって、勉強が大の苦手なのである。
Stinpelが補習授業を行うけれども、生徒達はやり遂げる自信が無くて、
「私たちに合格なんて無理だよ」、「俺たちにチャンスなんて無い」
と生徒達が弱音を吐き出してしまう。
帰宅したStinpelは彼女のLisaから、
「問題校なんだから仕方ないわよ。全てが成し遂げられるわけはない。」
と慰められるも、Stimpelは「僕の責任だ」と悩んでしまう。
翌日、副校長の元へ行き話し合いをするStinpel。
「生徒が試験に受かりそうにない状況を作ったのは自分であり、そんな問題のある自分は先生としてふさわしくない。生徒達をどうやったら助けることが出来るのか全然分からない。」
と話すStinpel。
それに対して副校長は、
「生徒達が自分で自分の道を進む為に、あなたは生徒を信頼しないといけない。」
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「あなたはあなたに付き添うしかできないのよ。」
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最初のSieが「あなた(=Stinpel)」を指しているとすれば、「あなたは付き添うことしか出来ない」となり、「誰を?」との問いには、当然、話の流れからして、「生徒を」となる。しかし、目的格に位置する2番目の「Sie」は大文字で始まっているのである。この大文字で始まるということは、このSieは敬称として使われており、ここでは「あなた(=Stinpel)」のことを指すという流れになる。生徒達のことを指したいのであれば、小文字から始まる「sie(=彼らを)」という形を取るはずである。
また、一番最初の「Sie」が「あなた(=Stinpel)」ではなくて、「彼ら(=生徒達)」を示す場合も考えられる。ただそうすると、2番目のSieは「Stinpel」だと確定しているので、和訳としては、「生徒達が出来ることは、Stinpelに付き添うことだけだ」となってしまう。生徒が先生に付き添うっておかしいですよね?普通は、先生が生徒に付き添うものです。
そして、この文章の直前で副校長は「あなたは生徒を信頼しないといけない。生徒が自分の道を進むために。」と言っています。これから察するに、Stinpelと生徒の間は切り離されているので、この場面で、「生徒が付き添えるのはStinpelだけだ」という文脈になるのは有り得ないと判断しました。
なので、結論としては、一番最初のSieは「Stinpel」を指していて、二番目のSieも「Stinpel」を指していると判断しました。よって訳としては、「あなたはあなたしか付き添うことは出来ない」となると思います。
「良い先生というのは、生徒達に対して、彼らが何を出来るのかを示すものです。」
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「あなたの生徒達は明らかにたくさんのことが出来ますよね。」
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完全な文としては、「und Ihre Schüler sind offenbar zu einer Menge fähig.」となり、sindとfähigが省略されていると判断した。これは、直前の文章でそれらの2単語が出ている為、重複を避けたのだと思われる。
このセリフを聞いた時に、良い言葉だなと思った。
実習先の3歳の子どもがカタツムリを見つけると直ぐに触ってしまうので、他の先生が「カタツムリを元の場所に戻しなさい!」とか、酷い時は「もうカタツムリを触るのは禁止です!」みたいに言うことがあって、もちろんそうしないと、その3歳の子は入っちゃダメな所に足を踏み入れてしまったり、カタツムリに夢中になって全体行動に後れを生じさせたりするので、言わなきゃならないということは理解している。
だけど個人的には、その3歳の子がカタツムリを見つける為に集中力を使っていることは凄いなと思うし、両手に収まり切れないくらいのカタツムリを見つけ出せる情熱と好奇心は良い才能だと思うから、それを潰したくないなという気持ちも持っていた。
一番良い解決策としては、ルールを守ってカタツムリを取って、全体行動をする時にサッと切り替えてくれたら良いのだが、3歳にはなかなか難しいのである…
上記のような複雑な思いを持っていたので、この副校長のセリフを聞いた時に、「なるほどな!」と思ったのである。3歳の子も「ダメよ!」とか「戻しなさい!」と言われてばっかりでは面白くないだろう。自分はその子に対して、その子の良い部分を伝えたいと思った。
「良い先生というのは、生徒達に対して、彼らが何を出来るのかを示すものです。」
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