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今日のドイツ語137:ドイツのコメディー女王Anke Engelkeが「幸せとは何か?」という問いの答えを見つける為に奮闘するドキュメント番組で使ってみたいと思った文章のまとめ



よくテレビ番組で「~と一緒に幸せを探しに…」みたいな感じのタイトルがあると思うんですけど、そのドイツ語版みたいな感じです。

彼女が一番最初に訪れたのはガンになった子ども達が集う病院。

その後は、合唱グループを構成して、歌うことが幸福にどのような影響を与えるのかを科学的に実験。最終的にはケルンフィルハーモニーと合同でコンサートを開催します。

他にも、街頭インタビューを行い、結婚生活60年目(しかも初恋が実って結婚!)を迎える夫婦から詳しい話を伺ったり、「Tempelhof」という『自治』の村に行って、そこの人々の生活を体験したり、病院で親しくなった子ども達のその後を取材したりなど、内容が盛りだくさんです。

個人的には、病気が治らずに余命が決まってしまった少年のところが印象に残りました。

余命が決まったという事でやりたいことをやりつくそうとする少年。ヘリコプターでサッカーの試合を見にミュンヘンに行く前の記念撮影の場面で、Anke Engelkeに写真撮影をお願いします。

その時のAnke Engelkeに「さすが、コメディーの女王だな!」と感激しました。(47:17~)

少年が写真撮影をお願いして、
Anke Engelkeが写真を撮影。
Anke Engelkeが写真の出来前を少年に確認させると、
(わざと)足元を撮っていたというオチ…笑


彼女のエンターテイナーとしての底力を見たなって感じです…


やっぱり、こういうドキュメントを見ると、「幸せって何なんだろう?」って考えちゃいますよね。

このサイトから色んな名言が探せるのですが、「幸福」で調べて1000件以上ヒットした中で、300個を読んでみて最も気に入った名言は、


ジョージ・エリオット
作家

幸福が訪れるかどうかに関わらず、人は幸福なしでやっていけるよう備えるべきであろう。

ですね。なぜなら、昔あるジョーク集を読んでる時に見つけた自分のお気に入りのジョークが、『幸福とは不幸と不幸のあいだの休憩時間。』


キーくんを笑わせろ!https://note.com/kikun_waldkita/n/n0896eb4952c5?magazine_key=m515c6ead1351


だからです。

「人生、山あり谷あり」を面白くも的確に表現してて好きなのです。幸福が休憩時間みたいなモノだと考えるならば、やはりそうじゃない『本番の時間(不幸)』に本腰を入れて取り組まないといけないので、「人は幸福なしでやっていけるよう備えるべき」という名言に同意してしまいますね。

幸福は人によってそれぞれ違う(愛、家族、友達、自由などなど)と思うので、「幸福とは〇〇である」みたいな言い切り型の文言は、全ての人には当てはまらないなと感じてしまいます。その一方で、全ての人は「幸福」を求めているので、そこに矛盾が生じるんですよね。

その矛盾を解決してくれるのが、『幸福とは不幸と不幸のあいだの休憩時間。』という定義だと思います。幸福を休憩時間と捉える皮肉屋(ポジティブなら、スピッツのスピカの「幸せは途切れながらも続くのです」が合ってるかも…)であるかどうかは別として、ある程度生きていれば幸福も不幸も体験しているでしょうから、誰にでも当てはまり、誰にとっても「そうだな」と納得できるのではないでしょうか。

幸福を定義する時に、「不幸」という言葉を用いてるところのセンスが凄いし、現実味を感じて信頼することが出来ます。どんなに綺麗ごとを並べようとも、現実には不幸がたくさんあるので、その事実から目を背けずに、幸福を定義しているのが偉いなと思うのです。


他の名言で良いなと思ったのは、「誰かに生きる勇気を与えるために生きてるのよ、誰かに勇気をもらいながら。」という宇宙兄弟で出てくる「生きる目的は何か?」という問いに答えたセリフが好きなので、

たまたま見つけた

カール・ヒルティ
哲学者

幸福を得るには、あらゆに人間の性質の中で、勇気が最も必要である。

『幸福論』

という名言です。


勇気とは「自分の幸せの為に我が道を行くこと」だと個人的には思ってるので、

「ブッタとシッタカブッタ」の個人的ベスト集
https://note.com/kikun_waldkita/n/n27520d6efe5b


既に作られている一本道に囚われずに「勇気」を出すことが、幸福という「休憩時間」を手に入れる際に大事かなと思ってます。


最後に、蛇足ですが…

中島義道
哲学者

幸福論は、第一に、自分が幸福であると確信している人が書く。そして、第二に、だれでも自分と同じようにすれば幸福になれると説く。

これは、幸福教の暴力的な布教である。すべてが、まやかしである。

『不幸論』

確かに…笑

まぁ、”布教”って言葉使って糾弾する気持ちも分からんではないが、逆を言うと、そういうことを言うことによって「不幸論」を”布教”してるわけで…笑

他人に自分の考えを披露するってのは、良い悪いは置いといて、本質的には”布教”なんだと思ってます。





①・同時に不安でした。なぜなら、死の病を抱えた子ども達に対してそれ(幸福)についてどう話したらいいのか分からなかったからです。

Bammel[男] (-s/ ) ((話)) 不安,恐怖 Bammel vor j-et3 haben\…3を怖がる.

・しゃっくりした?

Schluckauf [男]しゃっくり

・普通の人達って、家族や子どもと離れたりするのがどんなにひどい事なのか知ることが出来ないんだよ。

・まるで回し車を走っていて、抜け出せず、目的地にたどり着けないハムスターのような気持ちでした。

①・肩を後ろに回して~

・信用に値しない感じですな~

glaubwürdig[形] (-er/-st) 信用に値する,信頼するに足る.

・あなたの人生の基盤は薄い、故にいつか地面の底が抜けて、あなたが落ちることが起きるでしょう

durchlässig[形](水・光などを)透過〈浸透〉させる, 通気性のある.

・One for all, all for one

①・こうやってここでしゃがむこと(=野菜作り)に関して、あなたが好きな所って何?

hockenしゃがむ

・ここまで来た私の人生の始まりがそれだったわ

・小さな共同体を飛び出して、大きな共同体へと移った決断は正しかったって言える?

①・もしそれが義務じゃなかったら、

①・それ(もうすぐ死ぬことが悲しいという気持ち)は外に出さないようにしてる。だってそのことはお母さんにとって良くないことを知っているから。

・良いシャッターチャンスの時に、ここを押して

①・要約しますと、歌うことで本当に幸せになります。それは幸福感を上昇させ、身体をポジティブに変えます。

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