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「カイロの紫のバラ」

映画「カイロの紫のバラ」が忘れられない。
もう30年以上前の短大時代、授業とアルバイトの合間に映画館へ行くことが大好きだった。
ジーン・ケリーの「雨に唄えば」「巴里のアメリカ人」、フレッド・アステアの「踊るニューヨーク」「Swing Time」「イースター・パレード」など繰り返し見た。
今を思えば学割料金は格安。繰り返し映画館へ行くとなるとお金は必要だったが、とにかく何度も見たくて足を運んだ。

その中でも忘れられない、そして、今でも当時と同じ幸せ感に包まれる映画がある。ウッディ・アレン監督の「カイロの紫のバラ」だ。

<あらすじ>
1930年代、大恐慌最中のアメリカ。主人公のセシリアは失業中の夫から暴力を受けたり、惨めな生活から抜け出せず、逃避するため映画館へ行くのが唯一の楽しみだった。
ある日、セシリアが映画「カイロの紫のバラ」を見ていると、登場人物の探検家トムがスクリーンからセシリアに突然話しかけ、スクリーンから抜け出し、2人はリアルな恋に落ちる。トムの居ない映画の中の登場人物達は、事態がつかめず大混乱。一方で事態収拾にやってきた、トム役の俳優ギルもセシリアに魅了され、リアルな世界での妙な三角関係がコミカルにすすんでいく。
トムは「セシリアと現実に恋がしたい。」と言い、ギルはセシリアに駆け落ちを申し込む。
悩んだセシリアは、トムにスクリーンの中に戻るよう促し、ギルとの生活を選ぶ。暴力夫へ別れを告げ、荷物をまとめてギルとの待ち合わせ場所へ向かうが、ギルはセシリアを見捨てて既にハリウッドへ戻っていた。
失望の中、セシリアは荷物とウクレレを持って映画館を訪れる。
そして、「トップ・ハット」のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンスを見て、いつの間にか魅了されていく。

私にとってこのストーリーの展開は、今でも魅力的で幸せ感は当時と全く変わらない。
映画という現実から離れた世界と、このリアルな世界との揺れ動き。
もしかしたら、この2つがあるから私は生きていられるのかもしれない。


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