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自分自身を愛せ~愛に生きた人~

ごきげんよう。
改めまして、劇団TremendousCircus「ヘリオガバルスの薔薇」ご観劇頂きました皆様、ありがとうございました。
ガンニュス役:菊間悠里(きくまゆうり)です。

Twitterでご挨拶しようと思ったのですが、140字に収まりきらない気がしてこちらに追記にしました。

長いようであっという間だった2週間のアーカイブ配信も終わってしまいましたね。
こんなに、ギリギリまで何度も何度も観て貰えて、ずーっとTwitterで感想(?)が絶えなくて、円さんが劇団ブログでも書いてましたが、ホントに、お祭りみたいでずーっと楽しかった。いや、まだ現在進行形ですね!!
思えば、稽古期間中から、Twitterという場を通して、この作品を楽しみにしてくれてる皆さんから、沢山チカラを貰ってました。(きっとそれは私だけじゃないハズ)
やっぱり演劇は、観てくれる皆さんが居て初めて出来上がるものですね。
本番が終わってからも、たくさん作品について考えてくれて、こちらこそ、いっぱいいっぱい幸せを頂きました(*´`)

ヘリオガバルス皇帝陛下に魅せられたヘリ薔薇ローマ市民の皆様(と勝手によんでいるw)におかれましては、円盤が到着した暁には、是非上映会などして、これからも楽しんでいただきたいなぁと思います(´ω`*)台本片手に、映像観ながら一緒にセリフを言うのも楽しいかもです。
本当に、ありがとうございました!

(ここまで12月5日追記・編集 )


2019年のサロメ・アンドロギュノスから終演後に役や作品やそれにからめた自分語りなど、あれこれ書くのが恒例となりましたので、今回もつらつらと書いていきたいと思います。(シンデレラの時はTwitter内で振り返ってました)

普段の知乃さんみたいに「舞台上で全てを語る!それ以外は要らん!」みたいなのもカッコイイなと思うのですが、なにぶん、自分が「制作秘話」とか「設定資料集」とか「アフレコ・撮影裏話」とかそういった類のものが大好物でして、そして文章を綴るのも好きなもので、まぁ、需要はともかく好きなことをしようというわけです。
先に言っておこう。めっちゃ長いよ!!!

さて、今回の役「ガンニュス」は、一言で言うと「愛の人」をテーマにしてました。
「愛で世界を征服する」と言うヘリオガバルス。
ガンニュスは恐らくそんなウァリウスの人格形成に大いに影響を与えている人物だと思うのです。

(どうでも良いけど、時間軸で呼び名が変わるのが個人的にエモいので、どうしてもガンニュス視点でヘリオガバルスのことをウァリウスと呼びがち)

台本から読み取れるだけでも、自らの性器を切り落としてまでマエサの傍に居ることを選び、親に愛されなかったソエミアの想いに抱擁で返し、親としてウァリウスを愛していた。
お気づきの方が居るか分かりませんが、ガンニュスの最期の言葉を、細かい言い方は違えどラストシーンでヘリオガバルスがアレクサンデルにかけているのが、なんか、もう、ねぇ……(戻って来て語彙力)

コイツに育てられたから、ヘリオガバルスはこうなったんだな、みたいに思って貰えるように演じたかった。それが1番大きい部分でした。

私自身は、泣きたい時は思い切り泣くべき、と思っているので(押し込めてると後々色々と支障が出ます)、「悲しい時にも笑顔を」というのが、どういう意図かいまいち分からず、脚本読み深め会みたいな稽古の時に、円さんに聞きました。
「アーティストってそういうもんじゃない?辛い時とか、それを乗り越えた先で出てきた表現が凄くいいものだったりする。ガンニュスの所に関しては、俺の屍を越えてゆけ、的な。」
というような回答で、なるほどなと。

精神面での愛はもちろん、特別パンフのカンニングペーパースーパーにも書かれた裏設定として、「切られてなお盛ん」(笑)という肉体的にも愛の人だったわけですがw 菊間の未熟さ故、肉体面での表現はちゃんと表せてなかったなと反省。
ソエミアともウァリウスとも、演出指示上もっとベタベタするはずでした…
…サイズ感的に、enさんとハグすると喰われてるようにしか見えないのでは…とずっと懸念していたのは内緒……

自分の中では、出てこないけど居るであろうユリウス家の他の使用人にも手を出しまくっているという裏設定が実は生まれていたりしますw(マエサとの関係を隠す為でもありつつ、持ち前の包容力とモノがない安心感から侍女たちにそこそこモテてる)

劇場配布のカンニングペーパーには「元ドラァグクイーン」とも書いてありまして、「父であり母、男であり女」とも言われてますが、当て書きならではの中の人由来の部分も感じつつ、演じてる感覚としてはノンバイナリーのパンセクシャルかな、と思いました。
彼にとって、人を愛することに自分のも他人のも性別は関係なさそう、でもってその心がウァリウスに引き継がれるのである。
あと、一応ヘリオガバルス神の神官でもあるので、切った自分のモノはちゃんとヘリオガバルス神に捧げてると思います。元々の史実では信仰から去勢してるので。

ちょっと話は飛びまして、菊間の演技のスタートは結構遅めで、20歳過ぎてから入った声優の専門学校に遡るのですが、そこで「自分の役は1番の親友になったつもりで」っていうようなことを言われたのが印象に残っていまして。
自分自身とするよりも、親友の方が思いやりを持ちつつも客観的に見られる。
なので、トレメンドス以外でも、これまで自分が演じた役は全員漏れなく大好きなのです。
ガンニュスもとても大好きなキャラなのですが、ことガンニュスに関しては、性質というかポジションというか、かなり自分自身に近いところで役作りができてしまったのです。
これが実はとてもやりにくい。

ガンニュスの感情、テンションが自力でどうしても見つけられず、トレメンドス5回目の出演なのに、「まだテンションが低い」と言われ続け、本番ギリギリまで小返し(シーンを抜粋した稽古)をさせて頂く事態に…
不甲斐ない(´;ω;`)

私は、幼い頃から、共感するのは得意なのですが、自分の感情を見つけて捕まえておく事がホントに苦手なんですね。感想文とかマジで大嫌い。評論文なら書ける。
学校で、芸術鑑賞とかあるじゃないですか、「何を感じましたか?」みたいなプリントに(何ってなに?)と、
何も感じないわけじゃないのだろうけど、感じたものはすぐどこかへ行ってしまってどんな形だったのか分からない、みたいな。鏡とか器みたいだなって思う。
好きになってくれた人が好き。誰かが嬉しいと自分も嬉しい。来たものをそのまま受け取りがち。
思えば、幼稚園の頃から粘土とか好きだったけど、何か作りたくても作りたいものがなくて、親や先生にリクエストを出してもらって、それに応えるのが好きでした。
そんな感じで、だからなのか、日常でも芝居でも「リアクション」はとれるけど自発的な「アクション」が凄く苦手。ライブ配信とかの1人で雑談喋る系は無理だなと感じております。
文章は、自分のぼんやりした気持ちを、1番適切な形まで、見つめ続けて、何度も何度も読み直して書き直しできるから好きです。

で、

円さんに引っ張って頂いたテンションを確認した時に、ガンニュスが割と素の自分と同化してる所に居ることに気づいたんですよ。
これがまずかったんだな、とそこで気づくという。
演技も人それぞれ得意な方法があると思うのですが、私の場合は、「役」がまず1人の人として在って、その役の代弁として自分の身体を使うイメージで、そうすればキャラクターに共感して感情を作れるんですけど、それが今回、自分の中にガンニュスが居ちゃったもんだから、ガンニュスの感情≒自分の感情みたいになっていて、それでなんとなくずっとぼんやりしたままだったんですね。

言い訳みたいで嫌だなと思いつつ、此処に書いてしまうのは、自分の感情が分からない事について「自分もそう!」みたいな人が居たら、「なんだ、自分だけじゃないんだ」ってちょっと気持ちが楽になったら良いなって思うからです。
結構、人格障害なんじゃないかとか、かつては色々悩んだりしてたので。まぁ、厨二病拗らせた結果、難しく考えすぎなのかな、なんて今は思ってます。

そんな経緯がありつつ、本番ではちゃんとガンニュスが独立してくれたので良かったです。
シナリオ上、出番は短いですが、その分想いは凝縮されております(*´`)

気の回る男ですが、完璧という訳でもなく。
ウァリウスを可愛く想うあまり、うっかりソエミアの地雷を踏んでしまったところは、(あ、やべ…)って後ろ頭に書いてあると思います(笑)

くっそ長いな、まだ続くのかよ、とセルフツッコミが脳内で入りつつ……まだっ!もうちょっと書かせて!
マエサ・ソエミア・ウァリウスとの関係性と、役者解釈の裏設定を!

ガンニュスにとって、やっぱり一番はマエサなんですよね。
マエサを女王にする為にそれまで色々動いていた訳ですから。マエサがいずれ自分を殺す事は、長い付き合いから分かっていて、その上で「これからもずっと」愛し続けると言う。それほどの深い愛を、果たして自分は表現出来ていたのだろうかと考えると、それはもう、自分ではまだまだ足りないとしか…( ;∀;)
……なんか、単純に、羨ましいですよね。
そこまで誰かを愛せることが。愛せる人と巡り会えた事が。
きっと、あの世でヘリオガバルスを見つけても、出会わないように姿をくらまして、ひっそりとマエサの傍に居るんだろうな、とか思っちゃいます。

史実ではソエミアの愛人なんですけども、劇中では本命がマエサなので、マエサの指示によりソエミアに寄り添ってる感じでしたね。ソエミアにドラッグセックスを仕込んだのもきっとガンニュスなんでしょう。と思ってる。
でも、だからこそ、ソエミアにはマエサが、ウァリウスにはソエミアが、与えられなかった分まで愛してあげたかったんだろうな、なんて思うのですよ。
まぁ、教育係ということもあって、ウァリウスと一緒に居る時間の方が多いし、ウァリウスが非常に自分に懐いていることから、そっちの方が大事になっちゃうのは人として仕方ないですよねw

ウァリウスについては、元々はヘリオガバルス神の祭司長となるべく育てられていたはずで、5歳以降、身体を売ることを強要される環境だったことを考えると、その行為がなるべく苦痛にならないように、嫌悪感を麻痺させるべく育てるだろうと思うんですよね。
それはもう洗脳レベルで。
だから、実践で教えるために身体を重ねていたとして、そういう行為の時には限りなく優しく接してたと思うのですよ。その結果、ウァリウスにとってガンニュスは唯一愛情をくれる大人という認識になってしまったのではないかと…
「父さん」呼びについては、菊間の裏設定では、当初は幼いウァリウスにも、立場的に敬語・様付けで接していて、ウァリウスが学校に行くようになって他の子供には父親が居るのが羨ましくなって、父親みたいに接してみて欲しいと言われたのが始まり。教師と教え子の時限定での、呼び捨て敬語なし。
そんな感じで考えてました。
葉山君と、関係性について設定の擦り合わせとか、しておいた方が良いのかなとか思ったりもしましたが、稽古してて日に日に、ウァリウスのガンニュスへの精神的依存度が上がっていくのを感じていたのと、舞台上で必要な事は台本から読み取れるし、まぁいいか、と自己完結してしまいましたw

今回、トレメンドスでは珍しくセリフのあるモブが少ないので(サロメとかフランケン観ると解ると思います)後半はほとんど喋らないため、葉山君不在の稽古の時はヘリオガバルスを代役で読んだりもしましたが、なんか、『着られるけどサイズの合わない服』みたいな感じで(笑)ガンニュスに比べてしっくり来ないのですよ。
やっぱりヘリオガバルスは葉山君でないとなぁ、なんて思いますが、ヘリオガバルスの生き方は私としてはとても共感して、本当にこの作品が大好きです。
トランスジェンダーとして治療をした上でお芝居を続けていきたいと、決意したこのタイミングでこの作品に出られた事に、不思議な運命の歯車とでもいうようなものを感じずにはおれません。ヘリオガバルス神の導きでしょうか?(笑)
まだまだ自分の全てを愛することはできないけれど、私が輝くことで、勇気づけられる人が居ると信じたい。
そして、皆に伝えたい
「自信を持って、ありのままの自分自身を愛せ!」

では、今回はこれにて。
長文、お付き合いありがとうございました。

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