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置いて行かれる人、待ってもらえる人

以前、ネットでこんな文章を読んだ。

身支度が早く、時間にキッチリしているのは、子どもの頃、そうしないと周りに置いて行かれてしまったから。そして、時間にルーズな人が許せないのは、その人は「遅れても待ってもらえる人」だから、という話。これを読んだとき、内臓がキューっとするような切ない気持ちになった。

私は、元来ダラダラするのが大好きで、一人でいるときは時間ギリギリまで動き出さない方なのだが、みんなで温泉に行ったときの身支度や、待ち合わせの集合等はかなり早い。理由はもちろん、置いて行かれないようにするためである。

私も、もたもたしていると置いて行かれてしまう子供時代を過ごした。学校で、移動教室があるとき。体育の授業の前に、着替えて体育館に移動するとき。給食を食べ終わって、昼休みに遊びに行くとき。いつでも、素早く支度を終えて好きな友達の近くに行っていないと、気づいた時には誰もいなくなっている。

友達が遅ければ、自分が待てばいい。でも、自分が遅いときには、友達は他の子と一緒に、先に行ってしまう。だから、不自然でない程度に素早く支度を整え、いつでも出発できる状態になってから、周囲が動き出すタイミングをうかがうのである(自分が一番に動き出すと誰もついて来ない可能性がある)。

この行動は、周りのいわゆる「空気」が読めなければ不可能である。まわりの子供たちから浮かない程度の速さで、しかし、絶対に動きに乗り遅れることが無いように行動するのである。周囲の状況を観察し、素早く判断し、正確にペース配分を考える。意識的にしても無意識にしても、小学生くらいからこの行動をとってきた人は、状況判断能力に優れ、とっさの行動に対応する力がついているのではないかと思う。時々、ものすごく空気を読み、気が利く人に出会ったりすると、もしやこの人にも、置いて行かれないように気をつけていた過去があるのでは、と勘繰ってしまったりする。


ところで、自分のことを置いてけぼりにするその子は、友達とは言わないのでは?と思う人もいるかもしれないが、そういうことではないのだ。その友達にしてみれば、ちょうど自分と同じタイミングで行動しようとしていた子に誘われるままに一緒に行動しているだけであり、私を置いて行こうとも、わざわざ他の子と行動しようともしていないのである。ただ、自然にそうなっているだけ。しかし実際は、周りの方がその友達と一緒に行動したいと、タイミングを合わせているのである。これこそ「待ってもらえる人」なのだと私は思う。

「待ってもらえる人」は、まさにマイペースである。自分のことだけを考えて支度を整え、自分の動きたいタイミングで動き出せば、周りがそれに合わせて動いてくれるため、ペースを変える必要が無いのである。ならば、なぜ周りが合わせてくれるのか。それは、その子が誰でも一緒にいたいと思うほど、とても魅力的だからである。

大人になって、仲良しの友達と四六時中一緒にいるような人間関係はとっくに卒業し、それぞれのペースを尊重しながら人付き合いができるようになった今でも、私は、「待ってもらえる人」が、死ぬほどうらやましい。だから、マイペースな人を見ると、この人に私の気持ちはわかるまい、と、なんとも言えない切ない気持ちになるのだった。


ところで、以前のnoteに書いたのだが、私の夫は非常にマイペースな人間である。現在はさておき、夫の子供時代はどんなものだったのか聞いてみると、案の定、気づけばいつも友達と一緒にいたそうで、私のような「友達に置いて行かれないように素早く支度を整えておき、状況に応じてペース配分をする」という行動は全く理解してもらえなかった。夫よ、その「自然と一緒にいた」友達は、一生懸命空気を読んでいたのかもしれないよ。


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