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ともぐい

読書の小窓
明治初め北海道東部、海に面した白糠から山の中を半日かけて歩き山小屋にたどり着く。その小屋の主、熊爪は、養父が行方不明になってからは狩猟犬とともに暮らし熊、鹿、兎等の肉や毛皮や山菜などを町で売って暮らしの拠り所していた。
白糠は、古くからアイヌの人々が住んでいた。今は、和人も多く住むようになり海産物で栄えていた。
町はずれの門矢商店は熊爪が持ち込んだ熊や鹿の肉や毛皮を買い取ってくれそれを料理屋、毛皮職人、薬屋に卸していた。
門矢商店の店主は、井上良輔と言って白糠一番の金持ちであった。
良輔は、熊爪を可愛がって持ち込む獲物をすべて買い取ってくれた。しかも一晩屋敷に泊めて酒を飲みながら熊爪の山や森のこと、猟の話、川の流れなどを身を乗り出して次から次へと話をしてくれとせつく。話嫌いの熊爪には苦痛だった。
一晩宿を借り翌日、山の暮らしに必要なものを買い込んで山に戻った。
雪が溶け始める頃、熊爪は、猟にでかけた。熊の足跡を見つけた。血痕が続いていた。人の足跡もあった。血まみれの男が、洞穴に横たわり助けてくれと叫んでいた。男は、太一と言い、熊にやられて右目はつぶれていた。傷が癒えるまで小屋で治療をして町の医者に連れて行った。
太一は、阿寒から冬眠しない穴持たずの熊を追って白糠までやってきたが、熊に襲われケガを負った。門矢商店の良輔が、漁師の八郎に太一の面倒をみるように依頼した。
山に帰った翌朝、熊爪は、太一を襲った穴持たずと赤毛の若い雄熊が取っ組みあいの喧嘩をしているのを見た。銃を穴持たずに向けて放った。急所を外れ穴持たずは熊爪目がけ突進してきた。追ってきた赤毛が、穴持たずに覆い被さるように首筋を噛んだ。ギャーと叫んで穴持たずは息を引き取った。
熊爪は、全身に痛みが走り、特に腰が痛んだ。小屋に帰って意識を失った。
気がつくと良輔の店の小僧と太一を診た医者が、熊爪を介抱していた。
熊爪の飼ってる犬が、白糠の良輔の店に行って彼の袖を引っ張り山に向かおうとした。良輔は、熊爪に何かあったと思い小僧と医者をつかわした。
熊爪は「あの太一を襲った穴持たずは死んだ。」と旦那に伝えてくれと小僧に言った。
傷は癒えたが、腰の痛みはなかなか消えなかった。熊爪は、山を下りて良輔の店まで痛い身体を引きずってたどり着いた。良輔は、穴持たずをやっつけた赤毛の雄熊の話を聞きたがった。二頭の熊の争いに巻き込まれて怪我をしたと言った。良輔は、今度、炭鉱を始めるからそこで働くかと誘ったが熊爪は乗り気ではなかった。
今の門矢商店は、商売に身が入らず良輔も妻のふじ乃も漁師の八郎も様子がおかしくこの店に何かが起こっているのだと熊爪は感じた。
翌朝、良輔の店を出ようとすると良輔のところで世話になっているという目の不自由な陽子(はるこ)が犬と遊んでいた。そして、やっつけた熊の話してしてくれとせがんだ。色白で細い身体が初々しくなよやかで色香が漂っていた。陽子をねじ伏せたい気持ちを抱いた。犬をなでる仕種が可愛いく恋しいという感情を探していた。
小屋に帰った熊爪は、良輔の炭鉱で働くかと誘いのことを考えていた。しかし、父母に死に別れ養父に育だてられ猟のこと、犬の使い方、町で何を売って暮らしの糧にしていくかを教えられた。一人で狩りをして生きていくしかない。あの穴持たずをやっつけた山に君臨する赤毛の若い雄熊に勝ってから自分の運命を決めていくと決心した。
秋が過ぎ、雪がちらちらと降り出した。熊爪は、赤毛を討ち取ることを決断した。腰の痛みに足を引きずりながら赤毛を探して雪の中を用心深く歩いた。夜が迫り疲れが重なり岩陰に寝床をつくり晩飯を食った。翌日もまたその翌日も成果はない。
その日は、谷間に寝床をつくり眠りについてしばらくして足の痛みに目が覚めた。犬が熊爪の足を噛んでいた。犬を蹴飛ばした先に赤毛がいた。一発撃った。赤毛は、姿を消した。犬が追いかけた。熊爪も赤毛を追って斜面を転げ落ちるように下りた。赤毛は怒り狂っていた。引き金に指をかけ赤毛を引きつけて引き金を引いた。当たった。犬が鋭く吠えて立ち向かった。赤毛が立ち上がったそのとき心臓を狙って撃ち込んだ。
熊爪は、赤毛の横腹の山刀で肉をえぐって穴をあけた。下帯を下ろすと膨張した男根を傷跡に突っ込んだ。女陰にも勝る心地よさで果てた。
白糠の町は、すっかり年の瀬を迎えていた。良輔の屋敷は、荒れ果てていた。番頭や小僧など雇い人は辞めてしまって寂れたたたずまいに変わっていた。裏口から声を掛けたが、返事がない。しばらくして、奥の座敷の暗がりから声がした。”けだものかと思ったよ”と良輔が、やつれた顔を覗かせた。
”お前のところの目みえねぇ女俺にくれ”良輔は、陽子を呼びにいき帰って来ると”いいだろう。どこへでも連れて行け、どこででも死ね”祝福とも呪いともつかない言葉だった。
陽子は、熊爪に手を引かれて山を登りながら身の上話を始めた。目が見えなくなったこと、父母、兄弟とも別ればなれとなり旦那の世話になったことをを話した。右の目は全く見えないが左はボンヤリ見えるが見ないようにしてると言った。だから、この子の父親の旦那の顔もよく知らないと言った。
陽子は、山の小屋の暮らしにもすっかり馴染んで鼻歌さえ口ずさむようになった。やがて産気ずいた。男の子を自分で産んだ。
熊爪は、獲物を町で売って陽子から頼まれた品々を買い集め家族のための暮らしを初めて知った。
”この子が乳離れしたらあんたの子を産んであげる”と言う陽子の言葉に熊爪は胸を弾ませた。
春の日差しが心地よい山の暮らしに慣れた陽子は、小屋の外に出て子どもを遊ばせていた。
陽子は、お腹をなぜながら次の子ができたみたいと呟いた。そうか俺に似た子が生まれるかと思った。その夜、熊爪は、陽子を思うさま抱いた。
翌朝、重い身体を起こそうとして首筋が冷たく引きつっているのに気がついた。陽子が握った小刀が喉仏のあたりにあてられていた。寝る前に汲み置きの水を飲んだ。トリカブトが入っていた水だったのだ。
”殺す気か?””うん”と小さくうなずく。”どうせ殺されなければ死ねないんだ、あんたは”
俺は,生き果たしたのだ。そして殺されて初めてちゃんと死ねる”と熊爪は解を得た。”ちゃんと自分でやれ”陽子は小さく頷いた。
喉仏を狙って小刀が刺さった。血泡が傷口からあふれた。
陽子は、泣きながら小屋を後にした。

熊爪は、山の中で獣たちとの暮らしから町の人間との暮らしを得た。幸せな家族愛を感じたとき彼は山で熊と死闘を繰り返した生き方を失っていった。
人間と暮らすことを望んだことを陽子は、拒否した。この人は人間とは生きられないから殺すしかない。
第170回直木賞受賞
「ともぐい」 川崎秋子著



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