ぼっち死の館
猫のゴンちゃんと暮らしてるひとりぼっちの老人。しかし、三人の噂好きの老婦人の仲間入りしていることが一人ぼっちを支えている。
舞台は、東京西部4市にまたがって多摩丘陵に計画・開発された日本最大規模のニュータウン、高度経済成長期、昭和41年(1966年)ころから40年かけて開発された巨大団地であった。人口4市合せて234千人と既に60年近くが経過している。2~30代で居住した人は、80歳を超して一人暮らしが多い。
[第0話 ぼっち死の館]
高齢化が進み一人住まいの人が増えた。どちらかと言うと夫を亡くした寡婦が多い。隣近所でコミュニテイーをつくり新しく引っ越してきた人とか一人暮らしの寡夫の行動を噂して楽しんでいる三婆。
ゴミの中で死んでたマンテツオジョーとか猫に餌をやりに来るパープル星人、首のところに筋のあるマダム・シャモなど引っ越してきた人に名前を聞いても忘れてしまい過去のキャリアとか見た目の印象であだ名をつけて噂していた。その人たちが一人、二人と死んでいった。その噂が自分の順番が間もなくやってくる。独居老人の多い古い団地、一人ぼっちで死んでいく。
[第1話 永遠のリア充]
妻に先立たれた近藤さんガラ系からスマホに替えてフェースブックを始めた。野良猫や散歩道の花を撮って投稿してたら「いいね」「いいね」「いいね」三回もらった。団地内を投稿のネタを探してたら近所の仲間から”何してるの?」と聞かれたので”フェスブックに載せようと写真撮ってる”と言うと”あれリア充の見せ合いみたいでチョットな”
近藤さん”リア充ってなんだ?”
”リア充も知らないでフェイスブックやってんの?”と馬鹿にされた。
昔の友達一ノ瀬から「いいね」を何度ももらった。その友達は、市民農園、椎茸栽培、そして妻がチェロを習っていてスペインのカタロニア民謡「鳥の歌」を聞きたいというのでスペイン旅行すると投稿してきた。
近藤さんは、リア充してる奴を見返してやると、今日もフェィスブックに載せる写真をと縞模様の猫を追っかけて転倒、脳梗塞で妻の元へと旅だった。
[第2話 煩悩と仙人]
最近、引っ越してきた老夫婦、奥さんはいつも着物姿、あだ名はフラミンゴとスタイルが良い。ご主人は、やはり背筋がスーと伸びたスタイルあだ名は鶴。さてこの二人には複雑な関係であった。鶴さんの体調が優れず訪問介護の医者が訪れていた。噂好きの三婆の前にフラミンゴさんとご主人鶴さんの娘が言い合いをしていた。”父を活きてる内に返してよ。早く病院に入れるから”
フラミンゴさん”ヘルパー代として少し下さるというから”
鶴さんが余命幾ばくもないと宣言され彼が持っていた土地を売り払った。真面目一方の父をたぶらかしてその金を狙った。と娘さん
鶴さんは、奥さんを亡くしてしばらくのこと、バー「涙壺」のママ・フラミンゴさんに惹かれて時々通うようになった。そのうち二人は、同居してフラミンゴさんが病に倒れた鶴さんの面倒を見るようになった。
結局、鶴さんは、病院に行くこともなくフラミンゴさんが旅立っていく鶴さんを最後まで見送った。
[第3話牛の行く]
夫Mさんは、田舎育ちで姉弟の3人で育てられ長男としてのんびりとゆったりと育った。
片や妻の方は、都会育ちで兄弟妹6人で育てられ、食事時も早いもの勝ちと
何かにつけて競争心を露わにする。
夫婦生活も奥さんの方がリードして先に口を出すのはいつも奥さんであった。
そんな奥さんが亡くなった。Mさんの一人暮らしの中にしょっちゅう出てきて”洗濯終わったよ”とか”新聞の集金来たよ”とか彼の頭の中に生きていて声が聞こえてきた。
朝、大きなゴミ袋を出そうとすると”先週の分も?こまめに出さないとすぐ溜まっちゃんだから”とお節介の噂好きのババァどもがMさんの行動に輪を掛けた。
すると、妻の声”なんとなく自分はあいつらと違うんだと思いたいんでしょう。同じ時代を生きてきた今のバァさんたち中身は結構豊かよ”
”それより一番心配なこと、家の中で一人倒れていて誰も気づいてくれないなんてことになりそうで”
”だからあんまり上から目線やめてご近所とも仲良くして”と妻の心配。
買い物の帰りにバスを待っていた。同じように買い物帰りの婆さんたちがバス乗り場にやってきた。間もなくバスが停留場に止まった。婆さんたちが我先に乗り込むものと思っていたところ”あなた先に来て待っていたんだから先に乗りなさいよ”と背中を押された。もじもじしてたら後ろから押されて先にバスに乗せられた。
以来、お節介で噂好きのババァどもともすっかりなじんで朝の挨拶で”小さい秋ですね”が言えるようになった。
[第4話 その猫が救われた理由(わけ)]
引っ越してきた時ベランダから小高い山がみえた。舟山と言って船をひっくり返して船底のような山となっている。よみの船と言ってあの世はこの世とひっくり返しになっていて船底を見せていると昔の年寄りが言っていた。
靴べらのおばーさん(夫が遠洋漁業の船員、クジラの髭の靴べら持っていた)の猫、太郎ちゃんがいなくなった。見つけたら連絡してくださいと図書館から舟山古墳の本を借りてきたAさんに連絡先を書いた紙切れを渡された。
ある日、Aさんは、図書館の帰り道で疲れ切っている太郎ちゃんを見つけた。早速、靴べらのおばーさんの家を訪ねた。何度かイヤホンを鳴らしてみたが不在のようだった。すると隣のおじーさんが出てきて”誰もいないよ。ここのバァさん亡くなったから”
靴べらさんは、最後の心残りは太郎ちゃんだった。Aさんが太郎ちゃんの餌やりをするようになった。
[第5話 蝶が飛んだ日]
掃きだめに鶴のような女性が引っ越してきた。噂好きの一人が夜の蝶っぽいねと他の一人が ”対するこっちは、昼間の蛾か?ハハ・・”
一人暮らしに慣れてくると猫に話しかけたりしていた。いつの間にか猫がいなくなっていても話し続けていた。Mさんは、ゴンと暮らすようになって15年が過ぎた。マンガの仕事が進まずピンチになっていた。貯金も底をついてきた。ガスコンロの点火用の電池も切れていた。
どうしたことか足に力が入らず操り人形の糸が切れたように床にへたりこんでしまった。
翌日、医者に診てもらうと入院して検査することとなった。2~3日入院することとなるとゴンのトイレやごはんのことを噂好きのおばーさんCさんに頼んだ。結局一週間入院した。舌が少しもつれたり、字を書くと歪んでしまったりと脳梗塞と診断された。医者は、半年もすれば元通りになりますといってくれた。”助かった。ずっとお一人様で生きてきた。死ぬときも結局お一人様のワケだし。ハハ・・ちっちゃいけどたしかに蝶だ”
同世代の人が、同時代を生きてることをリアルに描いたまんがを繰り返して読んだ。第三話などは身につまされている。一番の悩みは、お針である。ボタン付け、ほころびの繕い、丈、幅の調整等、仕方ないから新しいものに買い換える。しかも、寸法は一回り大きめのものを選んでる。従ってファション性では、スレンダーにはほど遠い。
三人の噂好きの三婆さんたちは、他人の生き死にを目の前にしながら自分の生きてることを、そして間もなく自分にもやってくる死を思い描いて楽しく生きている。
「ぼっち死の館」斎藤なずな著
第28回手塚治文化賞マンガ大賞候補作