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行き止まりの世界に生まれて

度を越えた自由は不自由と知る

スケートカルチャーを描いているだけかと思いきや、ラストベルトに堆く積まれた「有害な男性性」の諸問題に迫った非常に良いドキュメンタリー映画だった。

本作の主な登場人物はスケーターである3人だ。作品を撮っているアジア系のビン、白人のザック、黒人のギア。
そして物語の舞台は、ラストベルトに位置するイリノイ州ロックフォード。

物語の序盤、独立記念日を祝う花火を、屋根によじのぼってバカ騒ぎをしながら観るシーンがあった。

「今日はクソアメリカの誕生日だぜ、すげぇだろ、俺はクソ自由の国で、屋根に上ってる。このクソ自由な国のクソ屋根の上だ」

もちろん彼らは酔ってハイになりながらこんな話をしているのだが、このfucking連呼構文には間違えなくアメリカ社会への批評性も含有しているのだと思った。

自由の国アメリカで生まれ、さまざまな負の連鎖を身体で感じた彼らのシンプルな訴えに聞こえた。

彼らを取り巻く主な状況は以下の通りだ。
安定した職業につけず賃金も低い、だからとって近隣の都会であるデンバーに出られる訳でもない、そもそも高校をドロップアウトしたから低賃金の職にしかつけない。

作品中ではドロップアウトの原因を明文化していなかったが、やはり背景にあるのはDVが多発している家庭環境とそれに伴う子どもの居場所の少なさだと思う。

ビンもザックもギアーも、父親や継父から暴力を受けていた。更にギアーの父親は生前、なぜ暴力を振るって教育をするかを息子に説明するときに、自分もそのようにして育ってきたからだと語っていた。
説明不要かもしれないが、彼らは配偶者である女性に対しても日常的に暴力を振るっていた。

現在ラストベルトとして廃れた地域は一世代前は工業が栄えていた訳で、つまり労働者になり得た男性(家父)が絶対的な権力を持っていた。
男らしく(家父らしく)振舞って家庭での地位を確固たるものにするために家庭内暴力があったとしたら、それは時代が下るにつれ形を歪め、経済不安やアルコール依存などによる暴力に変容していく。また、このような暴力の再生産の背景には単純にそのような光景を見て育ったというのもあるはずだ。

私は個人的には福祉が厚い社会の方が良いと思っているが、それらは地域によって向き不向きがあると思うし、いわゆる行政が提供する福祉以外の代替手段は多く考えられるべきだと思う。

産業の撤退、暴力の連鎖、教育の低下、若い世代の流出を防ぐために、あらかじめこの地域にソーシャルワーカーが多く存在し、児童相談所のような機関が設置されていればよかったかというと決してそういう訳ではないと思う。

スリービルボード

この作品のなかには、アメリカではおなじみのビルボード(巨大広告看板)が3回登場する。
これらの看板に書かれたメッセージやトピックが、地域とコミュニティを分かりやすく示してくれていると思った。

一つ目は【SKATEBOARDS HAPPEN】
字幕では「スケートボードで事故は起きる」とある。スケートを良しとしないという意味なのだろうか?と一瞬思ったが、看板の下部には "walk-in injury care"と病院名が書いてある。つまり、スケートで怪我したらうちにきてねということだ。
メインストリートを滑走するスケーター、修理などを行うスケートボードショップ、スケート中の怪我と医療機関、全てはこの地域で受け入れられたコミュニティと産業であることが読み取ることができる(残念ながら、物語の終盤で若者たちの居場所のひとつであった屋内スケート場が廃業している)。

二つ目は【Dad is the one that picks you up when you fall.】
字幕では「つらい時 助けてくれるのはお父さんです」とある。文字の背面には、10歳ぐらいの少年が少し泣きそうな表情を浮かべている。看板の左下にある#KidsOnDadsをインスタグラムで検索すると、他のデザインの看板も全て被写体は少年だった。
このメッセージは読んで字のごとく、ただ家父長制を大いに助長するだけのものだ。広告主はfatherhood.govという機関で、この組織は政府の資金援助もあり成り立っているようだ(何とか読めた英語の範囲の知識のため間違っているかもしれないが)。
巨大広告はどこからでも目に付く。このようなメッセージが日常的に飛び込んできたらどうなるだろう。
男性はもっと父親らしく強くならなきゃと思うかもしれない。
女性は暴力をパートナーから受けているが子どもには父親が必要だから離婚はしないでおこうと思うかもしれない。
子どもは父親から教育として暴力を受けているがこれも愛情だと思うかもしれない。
「家庭」だけが唯一の居場所なのだろうか。

三つ目は【It's 3pm.Where are your kids?】
字幕では「放課後 あなたの子はどこに?」とある。広告主はBoys&Girls Clubという非営利団体が運営する学童クラブだ。料金体系はいくつかあるかもしれないが、サイトを見る限りだと"Just $1.50 a day to be there every day" "a walm meal, a safe place, the opportunity to learn…"とある。
現在の日本円に換算しても約1日200円程度で、月20日通ったとしても4000円だ。これは日本で公的に運営されている学童クラブと同等ぐらいの料金である。
地域の子どもの居場所は、家庭以外にも確保されていることが明示されている点がとても良かったと思う。

この三つ目の巨大広告のシーンは作品のだいぶ終盤に出てくるのだが、放課後に過ごす家庭以外の場所としてground floor skateboardsというスケートボードショップのシーンを思い出した。エリックという店主は初めて店に来たビンとのやりとりを回顧しながら以下のように語っていた。

君はいつの間にか店に入り浸ってたな
ふらっと来てはたわいない話をした
そういう子が大勢やって来て親の悪口なんかをここで吐き出していったんだ

このように、放課後にはスケートボードショップや街のお気に入りのショップに行ったって良いのだ(mid90sもよろしくやはり親からの反感を買うかもしれないが)。

安心したコミュニティで語る

本作品は中盤に連なる家庭内暴力の連鎖、またそれに伴う女性の声のあげづらさが如実に描かれており正直見ていて非常に苦しいものがあった。

作品を撮っていたビンは、この映像作品を作り上げることはセラピーだと語っていた。ビンは1989年生まれで私とほぼ同世代なのだが、ビンもザックもギアーも上の世代からの「男らしさ」の押し付けに戸惑い模索しているようだった。

いかなる暴力も否定しているのはビンだけで、ザックはパートナーを殴ったことを仕方がなかったと打ち明け、ギアーも自分が父親に殴られたのは愛情からだったと語る。ただこの二人も、ビンに撮り続けられこれらの事実を打ち明けていたとき、何も迷いがなくただ暴力を肯定している訳ではないように見えた。

Toxic masculinity(有害な男性性)など社会の構造的な問題は頭では分かっているが、そこにある身近な暴力とピントを合わせることができない。ビンの前で初めて暴力について語り、いまの自分や自分の歴史を認めるという作業が彼らのセラピーの第一段階になっていたのではと思う。

地域は時代によって変わるし、産業も変容していく。それでもこの場所で安心して暮らせるようなコミュニティが、依存先が、数多くあるような社会にしたいと願う。


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