おじいさんと笑いながら踊る
私は大爆笑をするとき、顔を少し上向きにして、手を叩き、今にも跪きそうな勢いで膝を曲げる。そして「アハハハッ」といった感じの大きめの声もあげる。
三日前、京都出身の赤染晶子のエッセイ本「じゃむパンの日」を電車の中で読んでいて、ついこのように爆笑してしまった。
この社会で生きていると、他人のちょっとおかしげな点を知ることもあるし、同時に自分自身のおかしげな点にも気付くことがある。
「じゃむパンの日」は、他人と私の「おかしげ」な点をを京都の洛中の地図のように明解にした上で、「おかしげ」な毎日を大切に生き抜くことが人生であると教えてくれた。
数週間前におじいさんに大爆笑された。
職場に入ってくるなり「おたくのとこはお風呂券の申請書、預かってくれないの!」
と怒鳴られた。
お風呂券とは、70歳以上の高齢者が区内の銭湯に100円で入浴できる券だ。
申請をすれば年度ごとに20枚もらえる。
私も欲しいぐらいだが、ひとつだけ解せない点として、申請書は窓口で預かれないのだ。
切手代を負担してもらって、郵送にて申請をお願いしている。
この規則に関して、職場にきた時から「なんでなんで?なんで郵送な訳?」と上司に詰め寄り、更に上に交渉してもらったが運用は一向に変わらなかった。
「申し訳ございません。窓口では承れなくて…。本当はここで預かれるのが一番良いと思うんですけど、規則で出来ないんです。本当に申し訳ございません」
と深々と頭を下げた。
ここまでの私のムーヴを眺めていたおじいさんが、堪えきれないとばかりに、ククククと笑い始めた。
わたしの態度が慇懃無礼と取られて、皮肉で笑ったのかと思ったが、次第に笑い声が大きくなり、しまいには皺だらけの手を叩き出した。
「あんたっ…あんたって人は…本当に優しい目をしてるな…」とおじいさんはヒーヒー言いながら絞り出す。
「えっ?」と拍子抜けした私は、と緊張が一気に溶けて、フフッフフフアハハハ!と大爆笑のムーヴに入り、膝から崩れそうになる。
お互いに涙を拭う。
「こんな優しい目の人初めて会ったよ」と引き続き笑いながらおじいさんが言う。
私は決して「優しい目」をした訳ではないが、本気でこの場で受領できないことに申し訳なさを感じ、かつクレーム回避のための困り顔を演出しただけだった。
私が困り顔をすると、優しい目になるんだな初めて気付いた。
おじいさんともう少し仲良くなろうと思い「そんなに優しい目…でしたか?」と尋ねたが、それを言い終わらないうちに「わかった!郵送すればいいんだな」とおじいさんは帰ってしまった。
私は自動ドアの前で一人取り残された。
さっきまで反応していた自動扉がゆっくりと閉まる。
私はまだここにいるのに。
「まりな、よくおじいちゃんに踊ってあげてたよね」
昨晩母に言われた。
正確には「踊り」ではない。どちらかというと、お遊戯に近い。
晩年の祖父に対して、私は祖父が5歳児であるような接し方をしていた。
「おじい〜ちゃん!」と呼びかけたうえで、「は〜い!」と片手を挙げながらレスポンスの正解を見せる。
そうすると祖父は「は〜い!」と言って、小さく片手を挙げて、顔を大層デレデレさせる。
そして私は祖父の前で舞い始める。
両手をグーのまま、両腕を伸ばしては下ろし伸ばしては下ろしを繰り返す。
両脚は、膝を高く上げ下げしてその場で行進するような動作をする。
「おじい〜ちゃん!おじいちゃん!」と掛け声をする。
祖父は大層喜ぶ。ほっぺが落ちそうなぐらい、デレデレする。
チアリーダーならぬチア孫が、目の前で息を切らしながら、舞う。
亡くなる数日前から反応がかなり薄くなったため、チア孫の運動量が増えた。
両腕の上げ下げこそ変わらないが、その場で両脚を上げ下げするだけでは物足りず、介護ベッドの周りを駆け回る。
デレデレしない。
こんなに踊ってるのに。
痺れを切らした私は「おじいちゃん!まりなと握手して!」と、ゼーゼー言いながら握手を求める。
祖父は肘を挙げるので精一杯だ。
私がその手を掴みにいくから、ラッパー同士みたいなハンドシェイクになる。良かった、温かい。
「良かった、温かい」じゃない。
完全にちょっとおかしいのだ。
祖父も私も、お風呂券を申請したいおじいちゃんも皆、ちょっとおかしい。
著者の赤染さんは今から5年前、42歳で急性肺炎のため死去した。
そんな背景も知ってか、私は笑うことを躊躇したくなかったのかもしれない。
朝の総武線で、思わず顔を上げて笑い声を立てたら、目の前に立っていたおじさんと目が合った。
おじさんも目の前に座ってる人が笑い始めて、大層びっくりしたと思う。
あろうことか、その場でゲップを3連発した。
昨日の何かが胃の中で残っていたところに、なんかごめんなさい。こういう時はしっかり切り替える。
何とか笑いを堪えた。
明日は祖父の四十九日の法要だ。親戚の間で祖父の話に花が咲き、私は手を叩きながら爆笑するだろう。
それが終わったら少しDJをして、そしてパーティで踊りまくるだろう。
生きている限り、私は何度だって爆笑をしたいし、どこでだって踊りたい。
そう思えた本だった。
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