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日本画に対して

色々なものに留保をつけて思考する癖のある僕だけど、いくつか留保なき瞬間的な判断を下してしまう対象がある。
そのうちの一つが「日本画」という言葉だ。

 WEB版美術手帖で組んでもらった座談会を読んでもらったらすぐにわかるようにとにかく僕は日本画という概念について否定的である。
それは理論的なものというよりもむしろ生理的反応に近い嫌悪感だろう。僕が過ごした大学時代の経験から日本画にそのような感情を抱くこととなってしまったわけだが、その感情を核として自分なりの理屈を構築し日本画への嫌悪を、日本画自体が抱える不正義への義憤になんとか変換しようとしていた。
 日本画へと向かう僕の思考が、嫌悪感というあやふやな感情のまま留まっていたとすれば、例えば小学生のころ何となく嫌いだった機関車トーマスやバカ殿に対する嫌悪感と同様にいつしか霧散し、そんな感覚を抱いていたことすら記憶の彼方に置き去りになるような、そんな予感がしたからである。
 大袈裟に言えば僕にとって日本画とは、圧倒的な不正義と同様、「悪」であるという留保なき判断が必要とされるようなそんな存在であった。H×Hのクラピカではないが、怒りが薄れてしまうことに抵抗感があった。

 そこまでになった原因は事細かに書くと告発記事のようになってしまうので書かないが、対面なら何時間でも喋れるので付き合ってくれる人はよろしくおねがいします。

 今年初めのbiscuit galleryでのグループ展「re」では、展覧会名に「日本画」という言葉を入れないで欲しいという自分勝手な意見を通していただいた。
 振り返れば、今まで自分の個展のために書いた数万字の文章にも日本画という言葉は否定的文脈で一度出した限りだったと思う。日本画からの影響を避けるように、自身の作品の源泉を西洋美術や西洋哲学、あるいは日本画というものを知る前の幼少期に求めた。いや、正確にはもともとそうしたものが自分の作品の源泉であったが、意識して日本画の影響を徹底して排した、というべきか。
 そう考えると「現代アートとか、西洋のものとか見なくていい!日本のもの、例えば僕の絵とかから影響を受けてほしい」などと言い放った某院展の教授の言葉に、逆説的に最も影響を受けたのは僕かもしれない。

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 これを書いている現在(6月13日)参加しているグループ展「たえて日本画のなかりせば」には、「日本画」という言葉が入っている。この展覧会には「上野公園篇」と「東京都美術館篇」があり、その両方に参加している。僕は絵描きだが、そのいずれにも絵画作品は出していない。「上野公園篇」では俳句を詠み、「都美術館篇」では箱型の立体を出している。
 半ば無意識であったが自分の本領である絵画の出品を避けたのは、「日本画」という語を冠する展覧会に対して、自分自身の絵画作品を保護するような意図が働いたのだと思う。僕にとって絵以外の作品を作ることは労力のかかる割にクオリティが見合わないことが多い作業なのだが、それでも絵画以外であるということが必要だった。

 この展覧会に参加してみてはじめて、僕は「日本画」を避けることで、作品への思考が飛翔を始め、例えば個展などへのイメージを具体化することができていたということに気がついた。逆にいえば日本画という言葉が絵画への思考を妨げていた。

 「たえて〜」に出品している作品が、では絵画を避けて、日本画に関係のある題材を選んだかというとそういうわけでもなく(上野公園篇はそういう部分があるが)、twitterで言及してくださった方がいるように、ハドリアヌス帝の個人的哀悼から造られたヴィッラ・アドリアーナを発想源とした作品を出品した。つまり、絵画という自分の領域を避けた上で、さらに古代ローマという題材を選択することで「日本画」から二重の距離を保とうとしている。
 「日本画」がパブリックというか官製の芸術だったことを考えると、ハドリアヌスの別荘という個人的な感情から作られた一つのユートピアを自身の作品でオマージュしたことで、三重の距離が生まれているのかもしれない。
 日本画には影響を受けていないし受けたくもない、という態度の作家が1人くらいいてもバリエーションが出るかな、とそんなことを思っている。

 さて、急いで書いたので特に推敲もしていないこの文章をもって、僕が公に日本画について何か書くことはおしまいにしようと思う。ヘッダーは、学部2年のまだ和紙を使っていたころに墨と少量の岩絵具で描いた鰐だ。評価は散々だったが自分ではそれなりに気に入っていた。
 日本画について書く最後の文章の看板は、僕が描いた最初期の日本画に務めてもらう。

 「日本画」には僕の居場所はない。アナクロニックな言い方かもしれないが、僕の求める絵画の真理もそこにはない。

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