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Food5.0 (食の未来像)

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Food5.0はキクチの造語。これから訪れる、食べ物や食べることの「未来」を描き出しながら、日々の気付きを書き留めていきます。動植物の進化、人類の歴史・文化、文明・テクノロジーな… もっと読む
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#食

中抜きか、必要経費か。農業と流通を巡る感情論について。

東京のスーパーで150円のものが、生産者の手取りになると100円。中抜きされている!これが農業を苦しめている問題だ!という人が、いる。結構な頻度で、お会いする。 何でもかんでも、産地価格が安過ぎる(流通が搾取する、アコギだ)、と言いたいようなのだ。 しかし、「都心スーパーの店頭価格が150円で、関西の生産者の手取りが100円なら、悪くない(むしろかなり良い)条件」、というのが僕の感触。 話していると、気付いてきた。 「安い、中抜きされている」という人には、共通して、ある

Food5.0?フードロジストって何だ?から始まる、「食べる」の未来づくり。

少し前から「Food5.0」という(僕が勝手に言い始めただけのw)新しい概念をベースに、2030年、2050年、2070年、2100年と、少し先の「食べるの未来」を具体的に描いてみる、という私的なプロジェクト?をやってます。 時々、僕の実験や、投げ込む議論に巻き込まれている人もいますが(ほんとスミマセンw)、あまり広げずに、こっそり本の原稿を書いたりしてます。 そもそもの話、 農業や食料流通はもちろん、生物がfood(食物)になった過程や歴史について等々、「食べ物」や「

日本の「食」が失ったもの。

今、モロッコのメディナ(旧市街)にいる。 各地を歩きながら思うのだけど、食べ物について、「土用の丑の日」とか、「○○の日(例:さんま祭り)」とかを定めない方が良い。 貯蔵がきくもの(穀類、保存食、冷蔵冷凍品)や、年中あるもの(畜産物)ならまだ良いのだけど。 天候や環境によってかなり変動がある海産物や野菜は、向かない。その日に合わせて未熟なものを流通させることになったり、足りないからってコストかけて輸入したりする羽目になる。 採れた時、市場にある時が「食べ時」。 まだ出荷

「お菓子の家(Edible House)」には、未来がある。

「お菓子の家」と言えば、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル※」に出てくる、魔女が住む家。子どもの、女子の、いやヘタをすれば、全人類にとっての"ドリームハウス"に違いない。 (※原文を読むとけっこう残酷なのだが、この際忘れよう。) "お菓子の家"をググると、「家の形をしたお祝い用ケーキ」として、数多のメーカーやパティシエさんの手で商品化されているのが分かる。某有名レシピサイトでも、子どもと一緒に作って楽しむスイーツの題材として、沢山の投稿がある人気テーマだ……って、ちょっと待