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母袋俊也「空の絵〈Himmel Bild〉のさらに上方へ」GALLERY TAGA 2
2024.3.19
我が恩師、母袋俊也の「空の絵〈Himmel Bild〉のさらに上方へ」を見た。二階建てのギャラリー空間を活かした、インスタレーション性の強い展示だった。
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展覧会タイトルにも含まれている空の絵こと〈Himmel Bild〉は、展示空間の上方に掛けられる原則で制作された絵画シリーズ。その原則に則って、一階の上方に絵画が掛けられている。
それらを眺めつつ、階段を登って2階へ向う。
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2階に着くと、床からギリギリ浮いた位置に掛けられた〈Himmel Bild〉がまず目に入る。この時点で、空が描かれていて、かつ、上方に展示される原則で制作されたシリーズであるこの絵が下方に見えるということで、私自身が「上昇した」ということが強く実感される。
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そして、その「上昇」の感覚は、2階の床が白いことによっても実現されている。端的に、「雲の上に来た」という感覚が得られるのだ。これは、美術体験としてかなり新しいもののように感じて、とても興味深かった。
そうした雲の上に上昇することで出会えるものが、グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画の《磔刑図》を参照した作品だ。
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母袋の図式に従うならば、地上は「現実の世界」で、雲の上は「イデアの世界」である。ならば、母袋の考えによれば、雲の上に至った私たちは、「イデアの世界」にいるということになるのだろうか。
ところで、母袋の関心あるいは主題の一つに、「絵画の位置」というものがある。曰く、絵画というのは、「現実の世界」と「イデアの世界」の重なる極薄の隙間に生じるものなのだという。
その発想に従うならば、雲の上──すなわち「イデアの世界」──に至った私たちが目の当たりにしている「これ」は、絵画として物体に受肉する以前の「イデアそのもの」なのだろうか。そういった思索をかき立てられる。まだそのことにについては解釈しきれていないが、とても興味深かった。
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今年で70歳になった我が恩師、母袋俊也だが、これまでの仕事を総括しつつ、そこでの「成果」、あるいはそれとほとんど同義語としての「限界」を強く意識しながら、その上でなお新しい仕事に取り組むその姿勢に、自分も頑張らなくてはと触発されるところがあった。
これからの母袋先生の展開がとても楽しみです。本当にずっと元気でいてください。愛弟子より。
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