黒木結「地球に線を引く」櫻木画廊
2024.2.26
櫻木画廊で黒木結さんの「地球に線を引く」(飯盛希さんキュレーション)を見ました。
ガザとイスラエルの死者数とほぼ同枚数のポストカードがギャラリーの床いっぱいに並べられているという作品です。ギャラリーの中には入れずに、窓からギャラリーの中を鑑賞するという形式の展示でした。
キャプションによると、ポストカードは23枚ほど重ねられて置かれているらしく、表面からは見えない部分がかなりあるようです。そのことは、窓越しにしかギャラリーの中を見ることができない展示形式においては、視覚的に捉えることは不可能で、想像することしかできません。
ところで、ガザという、日本からは遠く隔たった場所での出来事は、日本からは感覚によって捉えることはできません。情報化されなければそこでの出来事は届かない訳です。そうした、 情報化を余儀なくしてしまう隔たり、あるいは距離を、この窓越しに鑑賞するという形式からは意識させられました。
そして、表面からは見えない重ねられたポストカードを想像することは、情報化されたガザでの出来事を、単なる情報としてではなく、現実の出来事として受け取るために必要なものと同じものなのだなと感じました。
また、窓越しに会場を眺めるという独自の展示形式によって表現されていたこととは別に、個人的には、「線の意味」についても考えさせられました。
例えば、私のように、絵を描いているものにとっての線って、何かと何かを切り分けるものという機能が際立っているように思います。
でも、そういう線って、観念の中の線なのかなと思いました。つまり、観念の中の線には幅がないので、それは切り分ける機能しか持ち得ない。
しかし、現実の中の線には幅がある。幅があるのだから、仮にその線が何かと何かを切り分けたとしても、その線の幅のなかにまた別の世界が生まれる。そして、それは幅があるのだから、道としても機能する。その中を歩けたり、何かと何かを繋げたりもできる。切り分けることとは真逆の機能を線は持てる。
この展示を見て、そういえば、線ってそんな豊かなものでもあったな、みたいなことを考えさせられたのでした。
この展示はギャラリーの中に入れなかったので、割とサッと見てしまって、ポストカード自体をじっくり眺めることはしなかったのですが、ポストカードに写っているものも、その上にマーカーで太い線を引くという行為の意味を際立たせる何かだったのかなと、いまこの感想を書きながら想像しました。
距離と想像力、線の意味、そうしたことについての思索をかき立てられる興味深い展示でした。
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