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半田颯哉「public void re-anthropocentrism()」LAG

2024.1.27

半田颯哉さんの「public void re-anthropocentrism()」を見ました。
最近の流行に「脱人間中心主義」というトピックがあると思いますが、そうしたトピックに対して警鐘を鳴らす意図を持った展示と理解しました。

脱人間中心主義的な美術にくくり得る作品が採用しがちな手法として「人間以外の存在が生成したものを用いる」というのがあると思いますが、実際のところ、それを選んで展示しているのは作家なわけで、そこには「生成における主体性の放棄」によって隠蔽された「選択における主体性」が存在しています。

半田さんは、そうした脱人間中心主義を標榜する(あるいは結果的にそうさせられている)作品が隠蔽する「主体性」に着目して、それを前景化させようと試みているのだと思いました。

自分の理解では、半田さんは、脱人間中心主義という目的のために「生成における主体性の放棄」という手法を採用するという最近の潮流は、目的においても方法においても、人間が行ってきた環境破壊などを考えると、無責任なのではないかと考えているようです。

むしろ、いま我々がするべきことは、そうした「主体性の放棄」ではなくて、積極的に環境保護活動をするというような、「主体性の再評価」だと考えているようです。

その「主体性の再評価」のために、今回の展示では、「写真作品を制作することにおける主体性」や、「紙幣が価値を持つことにおける主体性」に着目するなど、いくつかの手法を通じて、その実現あるいは提案が試みられているようでした(詳細はぜひ会場で)。

個人的には、脱人間中心主義というトピックの流行には胡散臭さを覚えていたので、半田さんの観点には共感する部分があって興味深かったです。「“脱”人間中心主義」でもなく「“単なる”人間中心主義」でもない、「“再考された”人間中心主義」の提案には、考えさせられるところがあるように感じました。

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