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仕事はじめる日記(2022年 沖縄の残暑)

11年


今年も、10月の3連休がやってきた。

毎年この3連休に、母校の文化祭が開催される。

中高一貫の6年間のうち、自由でいられる5年間は文化祭実行委員を続けた。毎年毎年、文化祭に向けて1年の他の日を過ごすほどに、文化祭はあの頃の私にとって全てだった。

今でも10月の3連休が来ると、「ああ、文化祭だな」と思い出す。


文化祭が、大好きだった。

同級生たちが文化祭に向けて努力を重ねて、ようやく迎えた当日、ステージや展示会場できらきらと輝いている姿を見るのが好きだった。

自分が楽しくて思いっきり頑張ったことが、誰かの心に届く瞬間をたくさん見せてもらった。

人が存分に自分を表現できて思いっきり輝けて、その輝きが拍手される場をつくりたい。今でもイベントや場づくりに興味がある根っこは、文化祭のために頑張っていたあの頃から変わらない。

実行委員長として迎えた文化祭から、今年で11年が経つ。


文化祭2日目のラストは、在校生だけが参加できる後夜祭が開催される。そのフィナーレには、文化祭までの活動を振り返るムービーを流すことが通例だった。

文化祭が近づいてきたころ、後夜祭担当が「ムービーの曲、選んでくれない?」と依頼してくれた。

みんなの大切な2日間を、そして2日間のために過ごしてきた1年を締めくくる曲を、私が決めることになった。

プレッシャーが大きかった。音楽に詳しいわけではなく、詳しさでいえば後夜祭担当のほうが適任だった。それでも「委員長が選んで」と託してくれた。

ムービーはサプライズとして流れるから、学校内では相談できなかった。学校外の音楽に詳しい友人たちに、10月に流すおすすめの曲を聞いて回った。

いくつか候補があったけれど、ダントツでいいと思った曲があった。

ただ、曲中で花火について触れていたから、10月に流すのはいいのかなと迷いもあった。この曲を知らない人もいるであろうことも気になった。

迷いすぎて、文化祭直前期にその曲を何度も聴いた。高2の文化祭が終わったら受験勉強に入らなきゃいけない私たちの青春を、「花火」に例えてもいいんじゃないか。

100回以上聴いて、これで行こう、と決めた。

文化祭直前の、私の字



文化祭当日、2日間のすべてが本当にあっけなく過ぎていった。どんなにあがいても、私たちの青春は終わりに向けて加速していた。

外部の方をお見送りして、いつもどおり校内が在校生だけになってから、足早に後夜祭へ。

バンドとダンスチームがパフォーマンスを披露して、盛り上がりはピークに達した。私たち高2にとってすべてが最後だから、もう二度と訪れない時間を噛み締めながら泣いている人もたくさんいた。

終わらないでほしいと願う時間が過ぎていき、フィナーレのムービーを待つ静寂を破ったのは、フジファブリックの『若者のすべて』だった。

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

10月にこの歌詞は、季節で言えば遅いのかもしれない。でも私たちにとっては、間もなく青春が終わる合図だった。

最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな
ないかな、ないよな きっとね、いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

仲間たちと号泣しながら、大スクリーンでこのムービーを見ている、青春の最後の瞬き。それはまさに、最後の花火になった。

最後の 最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ

ムービーが終われば、私の挨拶によって、後夜祭が、そして文化祭が終わる。

司会者に呼ばれて、壇上に上がる。スポットライトの向こうに、この刹那にあり余る全力を注いできた仲間たちの顔が、会場いっぱいに見えた。この光景を、私は一生忘れられないだろうなと思った。

少しだけ話して、感謝を込めて頭を下げる。あたたかい拍手に包まれて、ぜんぶが終わった。

後から何人かに「『若者のすべて』、すごくよかった」と声をかけてもらった。この曲を選んでよかったと、心から思った。


USBに入っていた「文実」という名のフォルダを、ずっと消せずにいた。文化祭に関連したファイルが全て入っていて、もう一生使わないのに、消せないまま11年も経った。

全校に配布するために毎月1000枚以上を一人で印刷していた文実広報、夏休みと秋休みの部活動のための部屋割、50名の委員の当日シフト、全校にとったアンケートの結果、後輩への引き継ぎ資料。あらゆるdocxとxlsたち。

でもこれを書いて、ようやく今年、全て消すことにした。写真だけはとっておいて、あとはさっぱり消してしまう。

すりむいたまま、そっと歩き出すために。


ほんとに、何年経っても思い出してしまうね。

やすみの日


寝ているのが大好きだけれど、最近は土日の朝に早起きをしてサクッと出かけるようになった。そうすれば道路が混まないうちに帰ってきて、残りの時間は仕事や勉強に使える。

ある日は、普段あまり行かない沖縄本島の東側へ。橋を渡って4つの島に行けるエリアだ。沖縄では珍しいほど大きな湾が広がっていて、どこを見ても海の向こうに陸地が見える光景が新鮮だった。

こちらは外海
サトウキビが道路に迫り出していた


あたらしい景色を見つける冒険が、日常に加わった。

風が変わる瞬間


今年は10月10日、那覇に風が運んでくる季節が変わった。

気温は26度だけれど、体感温度が一気に涼しくなった。これからは冬になるというよりも、同じ季節のなかでもう少し風が冷たくなっていく感覚。

気持ち良い風が吹くから窓を開けていたら、寒さを感じた。足元から冷えていくのを忘れていた。

去年もこの時期、上は半袖なのに足元にはもこもこの靴下を履いていたのを思い出す。

仕事してきた人


秋なので、新米を滋賀のおにいさんから送ってもらう。

沖縄に送るには送料が高くかかってしまっただろうな、と申し訳なく感じながら、5kgの新米が入った段ボールを開ける。

中にはお米と、2冊の本が入っていた。おにいさんが読んだ本を送ってくれたらしい。

段ボールには、メッセージが書かれている。手書きの文字がだいすきなので、心がほかほかした。この1週間でいちばん嬉しい出来事だと思った。

たぶん、おにいさんの手書きを見るのは初めて。数字が特にきれいだった。

かつて証券会社で働いていた母が「数字は、誰でも読めるように書かないといけない」と言っていた。お商売で数字は間違えられないから。

おにいさんが書いた読みやすい数字を眺めながら、お商売してきた人の文字だなと感じる。

こうやってふとした瞬間に、その人が自分の仕事を積み重ねてきた人生の片鱗を見かけると、かっこいいなと思う。滋賀ではみんな自分で体を動かしながらお商売をしているから、そう感じることがとても多い。

ろうそく屋さんも字がきれいなこと、ラッピングが異様に速くて上手なこと。お酒屋さんにプレゼントしたときのお返しがとっても速いこと。ヤンキーがユンボを上手に扱えること。

滋賀で出会うひとはみんな、私みたいに弱そうな手じゃなくて、説得力のある手をしている。自分の足で地面に立って、仕事のために身体を使いこなしている。

何も語らずとも、その手のあり方や、身体が覚えている行動が、仕事を積み重ねてきた時間を物語っている。


仕事してきた人の、嘘のない証。

そういうものを私は信頼していて、そしてこっそり憧れている。


言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!