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仕事はじめる日記(2022年 滋賀)


背中


私が20代半ばを過ごした滋賀には、頼れるおにいさんたちがいる。

それぞれがプロフェッショナルとして仕事をしながら、地域と職種を軽々と越えて、時には一緒にお仕事しながら、でも一緒に仕事しなくたって、お互いに影響を受け合っている。


おにいさんたちの多くが、毎年、東京で百貨店の催事に参加している。

私が東京に滞在している間に催事が開催されると知って、迷わず会いに行った。

おにいさんは忙しいだろうに、私が行くと「ちょうどよかった」と休憩のタイミングにしてくれて、一緒にお茶できた。

転職したことを報告したら、おにいさんは真っ先に「めちゃくちゃええやん」と言ってくれた。

そして自分も、20代半ばから全く違う道を歩き始めて、その先に今があることを話してくれた。

おにいさんも、私と同じようにキャリアを切り替えて、違う道を歩き始めた日があったんだ。

おにいさんの話を聞けて、本当によかった。

お茶から戻ると、もうひとり知っているおにいさんが店頭に戻っていたので、少し立ち話できた。

おにいさんたちの仲良さそうな関係がうらやましいと話したら、「20代のときに孤独のなかで奮闘した先に、気づいたら横を見ると仲間がいた。そういう時期があったから、今もお互いに寄りかかりすぎずに、それぞれが立てているんだろうね」と応えてくれた。

おにいさんたちは私にとって、初めて会ったときから40代で、すでに自分の道を決めて、立派なお仕事をしている人たちだ。

でもおにいさんたちだって、私の年齢だった頃はもがいていた。

たしかに、「40代になってから楽しくなってきた」って言葉を聞いたことがある。それは暗闇を乗り越えてきた人の言葉だ。


帰りの電車で、しあわせなひとときを噛み締める。

追いかけたくなる背中をいつも見せてくれて、後ろを走る私に手を差し伸べてくれて、目線を合わせて話してくれて、守ってくれて、背中を押してくれて、一緒に遊んでくれて、ご飯を食べさせてくれて。

みんなかっこいい仕事をしていて、自分の仕事だけでなく自分たちの地域をも、それぞれのやり方で未来につなごうとしていて。

そしていつだって、そのときの自分に必要な言葉をくれる。今回も短い時間なのに、大切なものをたくさんもらった。

おにいさんは、30年後に残る仕事がしたい、と言っていた。

届かないような存在で、でもいちばん安心して会える。だからこそ、おにいさんたちに会える自分でいたいと思う。


翌朝、おにいさんがつくったおはぎを食べた。

20代で全くの未経験から農業に飛び込んでから10年以上、毎日もがいてきた結果が、私の手元にある。

とってもおいしくて、人生を賭けた仕事の証だった。

2年3ヶ月を過ごした街


滋賀に帰ってきた。転職してから初めてのことだ。

何度も使った駅。山が遠くに見える駅前ロータリー。かつて住んでいた家。

何百年も人が行き交ってきて、私も何度も歩いてきた街道。お寺に上がる坂道。帰ってくるとご挨拶しに行くお寺。

街に入る交差点。駅の反対側にある平和堂。ちょっと歌声が変更されていた 店内の曲。2年経っても変わらないレジの店員さん。いつも買うサラダパン。

ひさしぶりに顔を出したら覚えていてくれた定食屋さん。この定食屋さんのだいすきなおでん。

滋賀に帰ると食べる量がとても増える。もちろん体重も増える。

身体は素直だ。



今回は、杉玉をつくるために帰ってきた。ご近所だった酒造さんの軒先に吊るされて、新酒ができあがったことをお知らせしてくれる。

これが杉玉

杉玉をつくりながら、途中で屋上に上がる。

瓦が張られた屋根が密集していて、その後ろに紅葉している山が広がっている。見上げれば、迷いのない冬の青空。

見下ろすと、庭に柿と金柑とみかんの実がなっている。

オレンジ色にきらきらしていて、このお庭の豊かさと、お庭が大切にされていることを感じさせる。


受け継がれてきた建物の屋根が、空の下に連なっている。この街の景色が、だいすきだと思った。

沖縄には秋がないからなおさら、この街で見てきた秋の景色に心が動く。ここにいると、心も頬もどんどんゆるんでいく。

ここでつくったお酒を世界中に届けているなんて、かっこよすぎる、と思った。

この土地でつくられたお米と、水と、この土地で積み重ねられてきた歴史と、大切にされてきた思いをぜんぶ乗せて、世界に届けられていくお酒。

この土地から世界へ、と決めているおにいさんの生き方に、この街で受け継がれてきたものを感じる。

この街が特別だから、それ以上に特別なものは何も必要なくて。この街の日常にいることが、私にとって代え難い宝物だ。



今年の思い出たち。

ジャングルジムで会った子の名前を覚えていた、というおにいさんの幼稚園のエピソードを聞かせてもらったこと、たからものにする。

ここにいる


東京では夜、いつも寝つけなくて、毎晩「OK Google、田舎の夜の音を流して」とお願いしていた。

滋賀に帰ってくれば、「田舎の夜の音」は必要ない。窓を閉めていても外から聞こえてくる虫の鳴き声が、夜はこんなにも静かで、虫の声が聞こえるものなんだと教えてくれる。

かつて住んでいた街の夜がすきで、寒いと分かっていながら、つい散歩に出る。


滋賀に帰ってくるといつも、突きつけられることがある。

「大切なものを、ちゃんと大切にできているか」

「日々ちゃんと、必死に、自分の人生を生きているか」

30代のおにいちゃんが悩むのは、必死に生きているからだ。自分の人生に、責任に、成し遂げたいことに、誠実に向き合っているからだ。

「ひゃくちゃんが決めたことを、その思いとともに伝えられるといいね」

ただ転職という変化を伝えるだけでは、移り身が早い人だと思われてしまうのではないか、と気にしてくれた。

続けることの難しさと、重さと、そこから得られるものの意味を話してくれるおにいちゃんの言葉には、重みがあった。


私は何を続けてきているのだろう。何を、だいじにできているのだろう。

静けさに包まれた街を散歩しながら、その問いに心がぎゅっと絞られる。



滋賀は私にとって、いちばんだいじな場所で、どこよりも帰れる場所で、いちばん、ただここにいられる場所だ。

だからこそ、普段は閉じている心のやわやわな部分が、唯一ここでだけは容易に世界と直接触れてしまって、ちゃんと苦しくて、ちゃんと傷つく場所でもある(誰かに傷つけられているわけではない、もちろん)。


ひとの人生がかかった問いと向き合うには、覚悟がいるんだったな。



自分が転職したから、今回は特に、みんなの転機や大変だった時期の話を聞かせてもらった。

みんな大変な時期があって、もがいていて、そして今も悩みながら自分が歩く道を決めていた。

そして20代の途中でゼロからスタートしたおにいさんたちは、「初めて突破できた感覚があったのはいつだったか」という問いに、口を揃えて「最初の3年を経てから」と言っていた。

私はまだ、スタート地点に立ったばかりだ。



みんないろいろなアドバイスをくれたけれど、おにいちゃんが「これだけは覚えておいて」と言葉をくれた。

「20代後半でも遅すぎるなんてこと全然ないから、やりたいと思ったことを自由にやればいい」

この街があるから、ここに帰ってこられるから、私は自由に飛んでいける。それをもう一度、実感した滞在でもあった。


散歩の帰りに見上げた夜の空はとても高くて、星が力強く瞬いている。


滋賀に帰ってきたおかげで、ちゃんと、生きていこうと思った。毎日を積み重ねていこうと決めた。

本当は、みんなと話したいこと、もっとたくさんある。ずっとおにいさんたちと話していたい。それくらいに、ここは私にとって帰る場所だ。





次に滋賀に帰るのは、もう少し先になるだろうなと思った。



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