仕事はじめる日記(2022年9月中旬)
仕事をやめる、ということ
会社員になった。なおかつ、職種を変えた。
ということを、これまでお仕事をご一緒してきた方にできれば直接報告したかったので、9月の東京では、そのうちの何人かに会いに行った。
今まで私の文章を読んでくれて、私の言葉を信じてお仕事をくれて、ライターである私を応援してくれた人たち。その人たちに転職をお伝えするのは、どきどきしていた。
その方々の思いを裏切るつもりじゃなくて、まるごと背負って新しい道に進もうとしているのだとできれば伝えたくて、そのために直接会いに行っていたように思う。
でもみんな、転職の報告を聞くと、そうすることがさも当たり前のことだというように、心からの応援を表明してくれた。
私は何にどきどきしていたのだろう、と拍子抜けするほどに、次の道に進みつつある私の背中を押してくれた。今までもらってきたものに背を向けるつもりじゃない、なんて、一度も説明する必要がなかった。
人に恵まれてきたことをあらためて感じると同時に、だからこそ、これまでお仕事で関わってきた皆さんと会える機会が少なくなることが、あんまりにも寂しいな、と思った自分がいた。
今回の報告ツアー、最後は先輩の書籍出版記念パーティーだった。
この日に東京にいるのがたまたまであったかのように振る舞っていたが、この場にいるであろう先輩たちにできるだけ直接、転職の報告したかったから、パーティーのために東京にいる日数を延ばしていた。
大人数が集まって盛り上がる場はひさしぶりでどきどきしたけれど、一緒に行った友人のおかげでなんとか飛び込んで、そこからはもうずっと誰かとしゃべっていた。
お会いできるかもしれないけれどちゃんと報告できると思っていなかった方々。まさかお会いできると思っていなかった先輩たち。そしてこの場に来る理由だった、ぜったいに直接伝えたかった先輩。
想像していた人数の5倍くらいの先輩たちに仕事を変えた報告ができて、本当に誰もが、背中を押してくれた。私に今この場で仕事をくれようとしていた先輩が、報告を聞いてすぐに「おめでとう」と言ってくれた。
「おめでとう」と言われることを、想像していなかった。おめでたいことだったんだな、と思う。
パーティーでたまたま会えた先輩と友人が、Web記事の載せる写真へのこだわりや現場でのディレクションについて、目の前で話し込んでいる。
私はぜんぜん、うまく写真のディレクションをできなかった。ライターとしても編集者としても、自分の伸ばせるところは当然のようにまだたくさんあるまま、専業であることを終えようとしている。
一緒にお仕事をしたことがある先輩が、話の流れのなかで、Webメディアの存在意義だったり、記事を出す意味だったりを私に語りかけてくれている。
あらためて、本当に、いい仕事だなと思う。
私はライターの仕事が好きだったけれど、それ以上に、メディアの役割を信じ、良い仕事を重ねることでこの道を切り拓いてきた先輩たちの背中を追いかけたり、自分たちが出すコンテンツの価値をもっと高めようとチームで一緒にもがいたりすることが、大好きだった。
この空間で再会した先輩たちと話しながら、ここから離れようとしている自分の今を思い、後ろ髪を強く強く引かれていた。
こんなに楽しくて、きっとまだまだ楽しいことがこれからもたくさんある仕事から、私は一人で離れるのだ。
先輩と友人と語らうひとときはとっても楽しくて、とてもあたたかくて、ひとりだけさみしかった。
そう思っていたら、話し込んでいた先輩がふと、「これはほんとにね」と前置きした上で、ちょっと間を空けてこう言った。
「お金に困ったら、遠慮なく連絡してください」
今回の転職のことは、特にライターの仕事に関わる人にはほとんど誰にも相談せず、事前に言わず、決めていった。
お金のことでなくても、先輩たちにもっと早く頼っていたら、違う道があったのだろうか。
なんてことはきっとなくて、変化の渦中にいる今だからこそ、条件なしに自分に差し伸べられている手があることを知れたのだと思う。
転職の報告を聞いてくれた誰もが、「ライター」の肩書きではなく、私を見てくれていた。肩書きが変わることなんて、もしかしたら私が思っているよりずっと、些細なことだったのだろうか。
そう思わせてくれる関係をたくさん、仕事を通じていただいてきた。そう思うほどに、私はたくさんの先輩たちに本当に助けられてきた。
でも、だからこそ、今ここを離れられるのだ、と知る。
同じ感覚を、私は覚えている。2年3ヶ月住んだことでいちばんの「帰る場所」になった滋賀に、いつでもここに帰れると確信を持てたからこそ、私は滋賀を離れることにした(その話を記事に書かせてもらった)。
そんな感覚を、ライターとして出会った先輩たちがくれた。「ライター」じゃなくても会えるんだ。それはこれまでも、これからも。
「ライター」の肩書きを外しても「ライター」で出会った皆さんと関われるから。「ライター」でなくなっても、先輩たちが先輩でいてくれるから。
背中を預けられる人たちがいるから、後ろを振り返ることなく、何も恐れることなく、羽ばたくことができる。
いちばんの先輩と握手してパーティー会場を離れて、帰り道を歩き出してから、そうだったのかぁと思った。
きっと、また会えるから。
出会ってきた人たちを自分のやり方で大切にできるように、まずは自分の道をちゃんと歩き出さなきゃ。
そう思いながら、深夜の東京をずんずん歩いていった。
もうひとつ。入社時期が想定より早かったこともあって、しばらくは新しい仕事の傍ら、ライターの仕事も続けていこうとしていた。
でもパーティーで先輩たちと話して、もう終わりにしようと決めた。
先輩に「文章の腕は落ちるよ」と言われた。インタビューの回数も、書く文字数も減っているのだから、そりゃそうなのだ。
本気の人たちと一緒に本気でコンテンツをつくりたて、ライターの仕事をしていた。一緒に仕事をする方々の本気の総量と釣り合わなくなったら、プロとしてのクオリティーでアウトプットできなくなったら、それはもう私のやりたい仕事ではない。
なのに、ライターの仕事を終えるのが名残惜しくて、ずるずると続けそうになっていた自分がいた。クライアントさんにお伝えするときも、未練を垂れ流してしまった。いつまでも今までのようにできないことは、どこかでわかっていたはずなのに。
新しい仕事は当然のように日々できないことばかりで、そんな日々のなかでライティングだけは自分の手が止まらずに動いてくれること、そしてスキルを必要としてもらえる(お金をいただける)安心感に寄りかかって、なんとか自尊心を保とうとしていたのかもしれない。
でも先輩の言葉でようやく、余韻に浸るのはもうやめよう、と思った。どっちの仕事に対しても失礼だ。
ライターの仕事は、少しも嫌じゃない。
だからこそ私は、ここを旅立つ。
もうまったく後ろ髪引かれることなく、前に進める。
いや、実際はもう進んでいるのだけれど、先輩たちに会えたことで、心が定まった。
いつでも帰れる場所があるんだから、ちゃんと自分で決めた道を進んでいこう。
走り出すために。