気づきの感度
昨日「あぁ、やってしまったなぁ」ということがあったんですよねー。
長男の高校で部活の親向け説明会みたいなものがあって、彼の通う高校に行ったのです。
校門から目的の教室まで足早に向かっている時、すれ違いの女子生徒さん(4人組の1人だったと思う)に「こんにちはー」と挨拶されたんです。
というか、実は自分への挨拶だとは全く気付かず、その後聞こえてきた「あぁ、無視されちゃったよー」という声で僕への挨拶だと気がついたのです。
あぁ、なんてことしてしまったんだ。勇気をもって知らないおじさんに挨拶したのに。そんな子を失望させてしまった。彼女はこういう見ず知らずの人に挨拶するのを今後ためらうかも知れない。
(挨拶ってこういう無視された経験を通じてしなくなるものだと思いませんか。)
踵を返して、「ごめん、気付かなかった。『こんにちは!』」と言える勇気もなく、申し訳ない気持ちを抱え教室へ向かったのです。
あのときの出来事を今朝振り返り「あぁ、この感覚どこかで味わったな」と思い出したんです。
それは、4年前マレーシアに移住していた頃の話です。
旅行では味わえないことが、実際に住んでみると色々感じることがありましたが、その中のひとつに「すれ違い時の目配せニコ」がありました。
向こうに行って驚いたのが「知らない人を無視しない」ってことでした。全然知らないおじちゃん、おばちゃんでもすれ違う際には目を見てにっこりするんです。
私、日常はすんごいシャイなので基本人との目を合わせずに生きております。特に外に出て他人の目を見るなんてことはほとんどありません。だって目が合ったら気まずいじゃないですか。
ですから、最初は彼らの優しい視線に気付かなかったんです。
あ、マレーシアでも人混みの中とかで、みんなで会釈しているわけでないですよ。ただ、彼らは目が合ったときに絶対に気まずそうな顔しないんです。目をそらさず「やぁ、(ニコ)」って感じの表情をするんです。
実は最初、このニコッが苦手でした。
でも、相手があまりにも良い感じのニコッをするので、僕も自然にできるようになりました。歩いていて通り過ぎる時に、「あ、この人はニコってしそう」って予感が出来て、良いタイミングでそれに応えることが出来るようになりました。そして、自分から目配せニコができるようになりました。
街中を基本むすっとした顔で歩いているのですが、「目配せニコ」に気をつけていると、結構ハッピーな気持ちになるんですよね。あれは、笑顔になるから楽しくなるみたいな効果なんだと思います。
で、この時の僕は明らかに他人に対しての気づき感度が高かった。たまたますれ違う人の様子をちゃんと感じていました。
でも、東京に戻って生活する中で、すっかり元の自分に戻ってしまいました。やっぱり知らない人と目を合わせるのは恥ずかしいですし、誰もニコッとしないよね、という暗黙の前提があります。また僕もすました顔で歩く人になってしまいました。
こうして周囲への「気づきの感度」は落ちていくのだと実感。
昨日の女子高生への懺悔とともに、自分の気づき感度を改めたいと思った次第です。
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