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ワタシのことをワタシが決めることを奪われてきたのは誰?

引き続き、 読本のサマリーです。
当事者主権 岩波新書 中西正明 上野千鶴子 著
ここから↓
序章 第2節
2 当事者であること

「私のことは私が決める」ことを奪われてきた

社会的な弱者

=女性、高齢者、障害者、子ども、性的少数者、患者、精神障害者、不登校者、などなどの人々
=社会のしくみにうまく適応できないために「問題がある」と考えられ、その処遇を自分以外の人々によって決められてきた人々

介護保険の例
お世話を受ける立場だった高齢者が、介護サービスの利用者となり、介護は、「恩恵から権利へ」「措置から契約へ」と大きく変化した。

どんなサービスを、いつ、どれだけ受けるかは、利用者本人が、決定することができる。

この画期的な変化の背後には、当事者主権の考え方がある。

当事者主権とは、サービスという資源をめぐって、受け手と送り手のあいだの新しい相互関係を切りひらく概念でもある。

↑ここまで

地方で自由で生きるためには、
「ワタシのことをワタシが決める」のが自然なことになるのが、まず必要だとワタシは考えている。
しかし、その前に
「ワタシのことをワタシが決めていい」という私自身に対するワタシの許し/許可が、必要なのではないだろうか?とも考えています。
それは、ワタシのことをワタシが決めることを奪われてきた自覚がないから、または、ワタシのことをワタシが決めていいのか?自信が持てない状態の人が多いのではないだろうかと、推測するからです。





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